一日遅れの痛み

★写真は「あらゆる会議の真ん中で」の1シーンです。
★さて、今日起きると右手の手首が痛い。昨日特に使ったり無理をした覚えがないのにどうしたのかと思ったら。
★一昨日家具を動かした記憶が戻ってきた。痛みは2日経って響くのか?
★右手の手首はずいぶん前、35年くらい前か手書きの原稿でラジオドラマを書いていた頃、あれは代役で回ってきた仕事に違いないのだけれど、ほぼ5日くらいで、1時間のドラマを書き上げたことがある。
★原稿の枚数は75枚位が仕上がりと思うが、実際には書き直しを入れると100枚を超える。
★その100枚を当時は万年筆で400時詰め原稿用紙に書き殴っていたと思う。
★元来筆圧が強いので、書き終わって2日くらいしたら、右手首がまるで饅頭のように膨れた。
★腱鞘炎である。そして腱鞘炎は直ったがくせになる。
★以来右手首の腱がきわめて弱くなっている。信じられないくらいのちょっとした力の入れ方ですぐ痛くなる。
★そんなわけで、パソコンのキーボードに変わったとはいえ、今も少し右手首が痛い。困ったものである。
★さて、溜まっている仕事を始めなければならないので、二つある劇作コンクールの審査の片方の原稿を読み始める。
★まー、具体的な感想は言えないが、「うーん・・・・」というところか?
★不思議なことにテレビやラジオの教室はあっても、戯曲の教室はほとんどない。いったい彼らはどこで何を学んでから書き始めるのであろうか?はなはだ疑問だ。
★小生に限って言えば中退とはいえ、一応演劇科で勉強したのと、その大昔鈴木忠志と別役実の居た新劇団自由舞台で、俳優をやっていた頃、この二人の意見が違う事はよくわかったが、内容がさっぱりわからなかったので、一大決意をして。
★古本屋で買ってきた「新劇」とか「テアトロ」「悲劇喜劇」等に載っていた脚本を1日1本読み切ることとして、1年以上読み続けた。計400本も読んだろうか。その結果彼ら2人の言っていることが多少なりともわかるようになった。
★それからよみうりホールでのエレベーターボーイのアルバイトで、商業演劇から新劇の舞台を仕事の合間3年程毎日見続けた。その頃は25日程の公演期間だったので、同じ芝居を毎日25回も次々と見続けた。そこで学んだことは大きい。
★そうしたことが財産になり、芝居を書き始めた時それほど苦労はなく次第に書けるようになったのである。
★勿論芝居も見まくった。仲代達也が初抜擢された「愛と死の戯れ」とか田中邦衛という新人が抜擢された「幽霊はここにいる」の舞台も見たし、垂水悟郎や大滝秀冶が新人として抜擢された「火山灰地」の舞台も見た。
★この方々はもうベテラン中のベテランといわれたり、名優として物故されてもいる。
★それどころか、まだ無名の頃の別役実の「象」の再演で鈴木忠志の相手役として男2で舞台も踏んでいる。そこでトチッたりして多くの事を学んだ。
★こうした経験談を言うと、「それがどうした?」と本当に爺と思われるが、いったい今の若い者はどういうスタイルというかどういう方法で芝居の勉強をしてきたのであろうか?
★芝居は所詮遊びだ。だからこそ命がけでやらねばならない。
★本当に死に物狂いで芝居の勉強をしろと言いたい。
★妄言多謝。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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