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清水港~日本平~久能山

静岡市街A

★写真は夜の静岡市街です。

★さて、清水港へ車で帰ったO君と小生でしたが、三保の松原から車を出そうとした時実はちょっとしたトラブルがありました。

★話に夢中になっていて、バックした時他の自動車とちょっと接触してしまったのです。事故にはなりませんでしたが、相手の車をこすってしまい、お互いの車に擦り傷をつける羽目になったのでした。

★どっちも悪いのですが、まあ、こっちがバックで駐車場を出た際に注意を怠ったという事で、なんとか保険で解決するという事になったわけです。

★そして一路清水へ。清水の近くの色々な店の並んだ建物の中で、新鮮な寿司を食べました。

★やはり、マグロの水揚げ日本一を誇る清水港だけあって、魚の新鮮な事この上なしでした。

★やがて、車で日本平の頂上へ。そこに車を止めてロープウエーに乗って久能山に。

★高所恐怖症の小生としては震えるほど怖かったのですが、案内してくれるO君の行為に水を注すのはと、じっと我慢の一時でした。

★o君とは高校時代も同じクラスで、よく数学の問題が2人とも解けず、廊下に立たされたりした仲です。

★しかし大学を一年浪人してから卒業し、銀行員として立派に勤め上げ、現在も1と月に15日嘱託として勤めあげているO君です。

★そんなO君は小生以上に歴史に詳しく、久能山(クノウザン)にある家康の墓が日光の東照宮と分骨されたものであることや、家康が幼少の頃今川義元の下ですごした不遇の時代と因縁浅からぬ久能の山に墓を建てたことなどを丁寧に話してくれました。

★海を前にして断崖絶壁の処に自分の墓を構えた事や、山崩れで赤土がむき出しの処があり、日本のグランド・キャニオンとも呼ばれていることなども教えてくれました。

★「なに?G.C事グランドキャニオンここは高谷かよ 」と思いましたが、それは語らずにおきました。

★本場のG.Cに比べてちょっとスケールが小さすぎる気がしたからです。

日本のG

★それはともかく、再びロープウエーで日本平の山頂に戻り、それから静岡の駅まで車で、彼に送ってもらいました。

★ほぼ半日でしたが、実に久しぶりに彼と話せたのとで、本当に52年程が元に戻ったような気がしました。

★少しばかりの後悔は予備校の試験に二人で上京したのに、早稲田の演劇科に受かった小生は、結局浪人したO君と生活の違いからあまり励ましてあげられなくなり疎遠になって行った事でした。

★でも少しも変わっていないO君のやさしさと一家家族の大黒柱で40数年やってきた彼の男らしさを再確認できたことは本当にすばらしい、半日でした。

★もう一人気になっていた親友との再会を果たしたかったのですが、少し躯の調子が悪く、会えなかったのが残念でしたが、ともかく楽しく懐かしい2日間でした。

★夜新幹線1時間で東京へ。昔は湘南電車で4時間かかって東京にたどり着いたのですが、本当に便利になりました。

★ただ、年の所為でどっと疲れが出て、執筆に至らなかったのが返す返すも残念です。

★そんなこんなで本日はこれまで。

★お休みベイビー!また明日。


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genre : 旅行

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プロフィール

G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)は1972年からNHKラジオドラマを約80本書き、映画、テレビ中学生日記等主にNHkのシナリオを手掛ける。【ラジオドラマ】「枝の上の白色レクホン」では、芸術祭大賞をとり同じく『天主堂』ではギャラクシー賞優秀賞をとる。
また若者たちと劇団ギルドを1999年に立ち上げ、20年続け、37回公演で2018年秋解散した。70代後半に向かい、演劇のプロジェクト、あくなき、小説・演劇・シナリオの挑戦創造に賭けており、また日本放送作家協会の理事は岩間良樹理事長の時代より20年以上続けた。
他に長崎県諫早図書館・壱岐未来座等のシナリオの書き方、演劇の演出講師、指導等もしている。

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