躯についての2、3のこと

★写真は府中郷土の森博物館の、古民家に飾られていたひな人形です。
★さて、本日はまた一歩も外に出ずの一日だった。
★風呂に入ると時々わかるのだが、年を取ってからどこかをぶつけたわけではないのに、小指の爪より少し小さい内出血の跡が足とか手とかにあり、皮膚が紫いろになって現れる時がある。
★多分これは(推測の域にすぎないのだが)毛細血管が切れたことにより、皮膚の上の部分にその血が凝結しているように思える。
★こうしたことが始まったのは多分10年程前からで、推測すると、こういう毛細血管が切れるという事は比較的多いのかもしれない。
★見える足とか手などはいいが、もしかしたら、全く見えない頭の中でもこういうごく小さな血管の破裂という事は年を取ると当たり前なのかもしれない。
★脳にとってはごく小さな血管の破裂はたいしたことではなく(いや本当はたいしたことなのだが)その度に記憶とか痛覚の感覚とかが鈍くなっているのかもしれない。
★それと、どこかたとえば家具の角などに、膝などをぶつけて、そこが明らかに軽い打撲になっていて、痛くなっている時がある。
★ところが、昨日乃至は近い過去にどこかへ打ち付けたはずなのに、こちらは逆でどう考えてもそのうち付けた時の記憶がない時がある。
★打ち付けた時は明らかに「痛い!」と思った筈なのに、どこでいつ打ったのかが思い出せない。そんなことがある。
★皮膚に関して言えば、きょうなどかなり暖かいと感じられるのは、風呂に浸かった時あまり足や腿が痒くないという事だ。
★それが、寒い日は湯船に入った途端足の腿などが痒くて仕方がない。いわゆる老人性皮膚疾患であり、こういった温度や湿度には動物的に反応する躯は本当に不思議である。
★ただよく分からないのは左肩の痛み。同じようにぐてぐてしていたのに昨日はかなり痛くて、今日はほとんど痛みはない。
★温度という事なら、春になれば痛くなくなるはずなのに、夏も痛かったのだから気温ではないはずだ。しかも昨日と今日では湿度はそれほど変わっていない。したがって湿度は関係ない筈だ。だからわからない。
★まあ、人間の躯は医者にもわからないし、現に小生の左腹の下の部分の痛みは徹底的に医者も3っつも変えて検査したが、結局原因はわからないままで、時々痛んだりする。
★本当に人間の躯は精密で、精密すぎてわからないことだらけだ。
★ただ痛みというものだけは、個人のもので、想像はついても、痛み自体は分かち合うことはできないので(心の痛みもそうだ)自己の存在感というかアイディンティティーを感じるのには十分すぎるものである。
★そんなわけで、とりとめもなくなったが、本日はこれまで。
★お休みベイビー!また明日。
スポンサーサイト
theme : 思うことをつれづれに
genre : 心と身体