劇作家協会新人戯曲賞・公開審査会に思う

★写真は第18回劇作家協会新人賞公開審査会の様子です。
★さて、本日は劇作家協会新人賞の最終候補作6本の部分的な朗読会が、15時から座・高円寺であり、ちょっと遅れて参加しました。
★あらかじめブロンズ新社から掲載発行された優秀新人戯曲賞2013という本から、各6本を15分づつくらい役者の肩が舞台上に椅子に並んで腰かけ読みあげるのです。
★その後休憩が会って公開審査会がありました。
★審査会までの1時間の休憩、劇作家の小松幹生さん岡安伸冶さんと3人で軽く飲みながら色々楽しい話をしました。
★その後18時30分から休憩を挟んでたっぷり2時間半、侃侃諤諤の討論の末、原田 ゆうさんの「見上げる魚と目が合うか?」が新人戯曲賞に決まりました。

★写真は司会の川村 毅さんです。1枚の写真に収まらなかったので。
★今回は小生1次審査をさせていただきましたが、小生の読んだ作品は最終候補には1本も上がっていません。
★だからというわけでは全くないが、何か止むにやまれぬ爆弾や闇そのものを抱えていて、それをただ説明するのではなく、舞台上あるいは戯曲上に大きく爆発というか、展開させて見ると言う大きな作品が少なく。
★2人とか3人の会話劇や。説明の多い芝居が多かったように思われます。
★芝居は劇であり、激であるという考え方は古いのでしょうか?
★けしてそうではないと思います。
★われわれの生きていた若い頃に比べて、ずっと世界も状況も最悪になってきているように思えます。
★だからこそ演劇は心の奥底にある闇や、表には出せない光を描き、現実の社会や世界の半歩先を描かねばならないと思うのです。
★それが劇作家の使命ではないでしょうか。
★現実のひき移しや、今ある現在の人間関係の説明的描写をしても何の得にもならないと思います。
★現実などひきうつさなくとも人々はしたたかに、善意に見せかけた大いなる悪意の中で生きています。
★だからこそ、選挙一つ見てもこのようなテイタラクになってしまったのではないでしょうか。
★あの恐ろしい福島をはじめとした東北の災害の時、われわれは0(ゼロ)から生き直さなければならないといったはずなのに、実は0になったのは福島岩手宮城千葉等の被害を受けた方だけになってしまったのです。
★0からやり直すと言う事は電機器具の一部をすてるとか、自動車を一台捨てるとか、生き方を根本的に問いなおし、暴れ出したら手に負えない猛獣を飼うのは止めようと言う事だと思います。
★でも、2年もたたないうちにあっという間に忘れてしまい。やれ自民党が悪いとか、原発を容認した民主党が悪いとか、そういう瑣末な問題に皆すり替えてしまいました。
★問題は、欲望と便利さのままに、壊れたら直せない凶暴な凶器とか、あばれだしたら、殺しても死なない猛獣を便利だからとか、仕方がないからとか言って人間個々がずるずると許してはいけないという根本的な事です。
★そこを直さないかぎり、何処まで行っても被災地の苦しみは救えないし、0乃至は0以下になったのは被災者の方だけではありませんか。
★話はそれましたが、「3.11があってから、何を書いていいのかわからなくなったのよ」と不図つぶやいた岡安さんの言葉が重く響いたG.Cでした。
★本日はこれまで。
★それでも小生芝居を書くぞ!ドラマを書くぞ!
★本日これまで。お休みベイビー!又明日。
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