逆襲のシナリオ?ソニー

★写真は神代植物公園のダリアです。
★さて、本日は夕方自転車で駅を越えて新青梅街道沿いにある日曜大工の店に、金魚の水草やA4のコピー紙や水等の買い出しに家人と自転車で出かけました。
★土日は特に自転車に乗る者には土日た゜けの車のドライバーが大量に道に出てきてうざいし、余りルールを守ってくれないので、危険だし。
★自動車に乗る者にはうろちょろと交通ルールを守らず、平気で右側を走行する自転車がうざいし、危険で、どっちもどっちという具合に町はカオスを呈しています。
★特に猛スピードで右側通行で道の端をやってくる自転車が2台ほどあって、危うくぶつかりそうになる。
★ちょっと糖尿病改善の運動量としては少ないが、だいぶ重い荷物を自転車ではこんだので今日はよしとする。
★夜NHKで「メイドインジャパンー逆襲のシナリオ」というドキメンタリーの1でシャープとソニーを取り上げていた。
★結論のところで、いまこそソニーは井深・盛田の書き残した原点の「自由で闊達な気風」を取り戻さなければ云々という事を言っていた。
★待てよ!と思う。戦時中、井深氏率いる日本測定器という会社で、小生の父は井深総務部長の下で総務課長をやっていた。
★そして日本測定器は戦闘機の部品等戦闘用品を作っていた軍需工場だったのである。
★だからこそ、戦闘機のコックピットという狭いところで効率の良い製品の発想が、後のソニーのトランジスターの発明につながった。
★戦争が終わって長野県須坂市にある広大な工場の土地を解体して、残務整理をさせられたのは小生の父で会った。
★その間東京に出た井深氏は何人かの仲間と関西にいた盛田氏を東京の五反田に呼んで、東通工を作ったのがソニーのはじまりである。
★残務整理は多くの反対を押し切って現在掘ェモンが収容されている長野刑務所を誘致したりして小生の父1人で5年かかって全ての作業は終わった。
★5年後、残務整理の功労者である父は井深氏の会社には呼ばれなかった。
★多分会社にとっては、特に技術的な特技者でもない父は邪魔なだけだったからである。
★その後父の性格という事もあるが、戦後の荒波を乗り切れず、父は20種類以上の職を転々として64歳で亡くなった。
★その子供の五人兄弟の長男が小生である。
★子供の頃一緒に遊んだ友達の父はほとんどソニーの重役になり、友達達はソニーの取締役の御曹司となった。
★そんなことはどうでもいい。
★ソニーの歴史を語る時に、「自由闊達」な社風の裏には先の戦争への協力とめんどくさいものの切り捨ての上に成り立ったものなのである。
★ソニーの会社としての世界への盛隆は戦後日本の象徴でもあった。
★誰であれ成功者には叩けば埃があるように、その会社が大きくなれば大きいほどその暗部はある。
★おかげというか父の性格の所為か雨が降っても傘がないような、1日置きに一家8人が晩飯は素うどんや握り飯とたくあんだけの生活や。
★畳が藁になり果てて、新聞紙を上敷きの代わりに敷いて、床下の板の隙間から木枯らしが吹きつけるような大変貴重な生活を子供の頃送らせてもらった。
★ソニー万歳である。この事つまり小生に取っての逆襲のシナリオはほんの少しだけ、「十二双川物語」という芝居で書いたけれど、まだ完全に世に問うてはいない。
★ソニーに取って、又小生に取って反逆のシナリオとはそういった事なのである。
★それでは本日はこれまで。お休みベイビー!又明日。
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