二つの富士

★写真は北千住学びピアから望む富士山です。
★さて、本日はボランティアで通っている北千住にある日本脚本アーカイブズ準備室での新年第1回目の会議の日である。
★会議の合間、7階の食堂から見えた富士山を撮る。
★東村山から北千住まで電車を乗り換え片道約1時間半である。多分富士山からはその分だけ
遠ざかる事になると思うのだが、両方の富士山を貼り付けてみたくなった。

★吾が家のベランダからの富士はもっとアップのもあるのだが、富士の手前の情景があったほうがいいので、こっちの方が小さく見える。
★なんで富士山に拘るのかとおっしゃるな。静岡の十二双住宅なるところで、極貧の少年時代を送っていたとき、屋根の上に上がって見る富士山が、唯一の慰めでもあった。
★当時、近所では次々にガスが引かれ始めていたが、家だけはへっつい(かまどだき)で薪で煮炊きや、ご飯を炊いていた。
★煙突掃除の係りの小生が、さぼっているために、煙突がすぐつまり、妹が火吹き竹でかまどを吹くのだが、煙が逆流して、妹はけむりで目が痛くて、涙をながしながら、メシを炊いていた。
★その為後年妹は料理や炊事がだい嫌いになったという。
★それはともかく、たまにする煙突掃除の度に、屋根に上り、掃除が終わってから、瓦屋根の上に寝そべり、飽きずに富士山を見ていた。
★そして、富士山を見るたび、こせこせした貧しい日常を忘れ、雄大な気持ちにさせられ、何はなくとも、大きな未来が彼方の富士山とともにあるように思えた。
★昼に見る富士と、夜お袋とおばあちゃんと親父が喧嘩をしている時、外へ出て、涙ながらに見る星空だけが救いだった。
★そして、放課後、そうした貧しい家に帰るのをさけて、フィクションの中にひたすら漂っている為に芝居をやっていた。
★だから、日常をそのまま、引き写したような芝居は好きになれなかった。飛べるだけ飛んだ、虚構のファンタジィーの世界を好んだ。
★しかし、今年はその貧しかった日常をきっちりと、書いてみようと思っている。
★それが、7月15日ー19日まで池袋のシアターグリーン・ボックスインボックスで上演する「十二双川物語」ー坦と榛子の昭和ーである。
坦はひろしとよむ。榛子ははること読む、いずけれも、誰もが読めなかった、亡くなったわたしの父と母である。
★そういう芝居だよ。だからって、湿っぽいばかりじゃない。誇り高きエンタテイメントにしようと思う。
★わかったかな、ベイビー!
★だから富士はおれっちの(静岡弁)シンボルだだよ。
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