自省なき大人

★写真は「修羅シュシュシュ」―賢治先生の教室ー舞台写真。
★さて、本日は何カ月ぶりかに何もせずすごした。
★かかりつけのマッサージに自転車で行き、左肩と腰を充分にもみほぐしてもらい。近くのダイエーへ行き、100円ショップでケースを3っつ程買った。
★それ以外はなにもなし。寝椅子でコックリコックリときりなく寝ては起きて菓子を食い……
★久しぶりにTVでニュースを見ると熊本の水害と大津のいじめ。
★水害に関してはお見舞いと災害の少ない事を祈るのみだ。
★だが、いじめについてはあきれてまう。
★隠ぺい体質の教育委員会も、学校も問題だが、それにも増して腹が立つのは学校の報告会に集まった大人どもだ。
★映像にはなかったが、ヒステリックに女の声で「一人の男の子が亡くなったんですよ。それなのに初めに黙祷もしないことはなにごとですか」等と言い始めた。
★思うに黙祷とか葬儀とかは亡くなった者に敬虔な祈りと安らかにという思いを伝える、生きている人間の側の儀式である。
★その儀式によって生きている者はある決着をつけて、先に進もうと言う言わば儀礼にしか過ぎない。
★そうした事を真相報告会の最初にやれと言う事は、一見亡くなった生徒に敬虔な態度を見せる事によって、この問題を先送りにするという事に過ぎない。
★この問題の責任はどう考えても大人にある。仲間の子供をいじめて自殺に追い込んだ子供をその年まで育ててしまった親とその周りの多くの大人にある。
★親は自分の事を棚に上げて学校の先生を責め、学校の先生は俺のせいではないとかくし、教育委員会も知らんと隠すという、すべての大人の自分だけは正しくて責任は他者にあると言う、見事までのすり替え大人の無責任さにある。
★子供は大人をまねるのだ、まねて育つのだ。
★大人がそんなだから、子供は弱い者を寄ってたかっていじめるのだ。
★小生も子供の頃脆弱な軀なのと貧乏な子だったので、ほんとうにいじめられた。誰にも相談は出来なかった。
★ただ、ほとんど一対一のいじめで、集団でいじめられた事はない。
★「個性的に」と言いながら実は没個性しか教えなかった教育が、バランス感覚だけを大切にした教育が、多数決と言う悪しき思考の下、こうした子供たちを生み出したのだ。
★これらはすべて大人の責任である。
★例えば1年と3か月程前、3、11の後皆何と言ったか「私たちは0から考え直しやり直さなければならない」と原発と言う暴れ出したら抑えることも、絶滅させることも出来ない猛獣を飼い、儲かるから便利だからと育て続けてきた事を自省し多くの人間がそういった筈だ。
★ところが、0どころか、あっという間に元にあるいは元以上に戻った。
★いくら自動車が日本の産業の元だからと言って、エコの名を借りた電気自動車の溢れるばかりの宣伝にはおどろくばかりである。
★0いいや、せめて50%にもどるなら、2台持っている車は1台にしたとか、3台の車を2台にして不便を承知で暮らしている等と言う話は聞いた事がない。
★事程左様にというか、それはほんの一例なのだが、この国の大人は懲りない責任は取らない、言いっ放し、人の所為にする、自省のできない国民なのだと思ってしまう。
★いじめをなくすためには大人自らの自省がまず必要なのだ。でなければこうした事は連鎖のように続く。
★続いて、日本がと言うより人類が滅びるのを望むのであれば仕方がないが、他を責める前に自省しようと言いたい。
★勿論小生を含めての話である。
★反論異論のある方は署名入りで言って来て下さい。
★何時でも受けて立ちます。ただしネットの特性だと言って匿名で何かを言って来た方は無視します。
★まあ、小生も暇だとろくな事を言わないということでしょうか。
★原発の事故もいじめも、かわいそうなのは子供で、それを助長してきたのは大人だと言う事です。
★おやすみベイビー又明日。
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