クリスマスイブ

★昨日といっても12月24日イブの夜、恒例になっている八王子の柚木教会のイブの礼拝に風邪を圧して行った。
★ここ数年はかならず、イブはこの教会へ一家で行く事にしているからである。
★南大沢・京王堀ノ内と平成元年から10年程住んでいた場所で、母も元気だった頃は3人そろって必ずイブには行ったものだった。
★小さいが、実にぬくもりのある素敵な教会で、小枝先生という牧師先生を尊敬しているのと、奥様も本当に素敵な方で時々芝居を見に来てくださったり、ラジオドラマを聞いて下さったりする。
★こんなことがあった。かつて、この近所に住んでいた頃、心ガ荒廃していて、ギャンブルにのめりこんでいた時があった。そんなある日、家人がたまりかねて、小枝先生に電話をした。
★家人は働きに出ていて、一人団地に居た小生の所までやって来た先生は、一言もその私のギャンブル狂いの事には触れず、世間話を2時間ほど小生としてそのまま帰っていった。
★以来、わたしは一切のギャンブルを止め立ち直った。
★もし、あの時「奥さんのお気持ちを考えなさい」とか「ギャンブルは止めなさい」とかの説教を聞かされたとしたら、「はい」と聞いたかもしれないが、これ程の尊敬を小枝先生に持つことは無かったと思う。
★以来わたしはこの先生を尊敬し、親しくしていただいている。
★当時わたしは本当にやけくそだった。ラジオやテレビの仕事はそこそこあったが、本来やりたい芝居は出来ず、仕事自体も行き詰まりを感じていた。
★己を信じるのは己しか居ないが、それにしてもなぜもっと価値ある仕事が出来ないのかと喘いでいた。
★やがて、ラジオドラマで賞をいただき、わたしは吹っ切れた。
★別に賞をとったからといって、その作品だけがベストではない。現に自分の中では、賞等関係なく十分にかけたという自信のある作品は他にもある。
★賞は権威になりうるものでもない。
★ただ、当時率直に嬉しかった。
★メゾネット形式の上の階で受賞の電話を受けた後、下の階に降りてあの時は、母と家人と3人で肩を組んで輪になって踊ったと家人が言った。
★踊った事はすっかり忘れてしまったが、担当ディレクターの千葉さんからの電話を取って「はいありがとうございます」と言った瞬間躯が熱くなったのだけは憶えている。
★本当に苦しく嬉しいこともあった八王子の日々だ。

★上のエピソードより前、平成元年から5年までこの団地の6階に住んでいた。なつかしくなったのと、礼拝の前に所用もあったので、この南大沢の団地に寄った。

★竜を模したとか言う団地入り口の階段で、有名な建築家の先生が作ったとかで、学生がよく団体で見学に来ていたが、躯をささえなければならない年寄りは何処を持てばいいのかという、実に実用性の無い冷たいだけの階段もあった。これも、今となっては懐かしい。
★大分寄り道をしたが、キャンドルをともした、礼拝は説教に来た先生の縄文の岩笛の演奏などもありすばらしいものであった。
★夕飯を近所の和食屋ですませた。
★帰りはしかし、遠い。新宿まで出て、西武新宿線で東村山迄の旅は相当風邪の身にはこたえた。
★でも、いい、イブであった。
★母が生きていた頃はいや、父の生きていた頃からも、クリスチャン的一家である我が家は兄弟が子供達を連れて集まり、ささやかに祈り、賛美歌を歌い、プレゼントを交換してケーキを食べ、一年に一度のすき焼きを食べる。それが 高谷家の正月よりお盆より大切な唯一の行事の一つだった。
★だが、母がなくなってからはその習慣は途絶えた。
★小学校の校長をしている弟のブログにも、その集いがなくなり寂しいと書いてあったが、仕方の無い事である。
★母が亡くなる近くの年には5人の兄弟と其の家族を集めるのに本当に苦労した。
★母の期待が増せば増すほど、諸事情によって、参加する兄弟が少なくなっていたのである。
★「一年にたった一度の親孝行と思っても集まれないのか!」とわたしは陰で怒ったが、それぞれに家族を持ち、その子供達が大きくなってしまった、弟や妹達の事情もそれなりに切羽詰っていたのかもしれない。
★時が流れ、人も変り、家族さえもが変わって行く。
★変らないものとは何か?それこそがキリスト教言う所の永遠の命なのかもしれない。
★しかし、キリストと同じヨルダン川で洗礼を受けた私にも、変らないものが何なのか?はっきりと言い切ることが出来ないのだ、分るかいベイビー!
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