あれから66年

★写真は夏の空です。
★さて、本日は8月15日敗戦記念日だという。
★小生終戦記念日等と言う言い方には納得できません。
★無謀な戦争を仕掛けて、日中戦争から太平洋戦争と軍部と時の政府が国民をだましこみ、300万人を超える日本人が命を落としたあの戦争に負けてから66年が経つったという事です。
★NHKスペシャルで「日本人はなぜ無謀な戦争をしたのか」という番組をやっていたが、当時の陸軍・海軍の国民そっちのけの対立や、大本営発表が今回3.11の津波と原発事故以降の政府の秘密主義や政党内及び野党を含めた政争が68年とか69年前ぐらいの軍部や政府にあまりにもそっくりなのに驚くと同時に愕然とした。
★日本人は徹底的にこりない民族だ。
★あれほど、震災の直後は0に戻ってとか、原点に返って反省とか言っていたので、自家用車くらい捨てて、皆自転車にする覚悟でも持ったのかと思ったら、5カ月もたてば、もう何かも忘れて、依然と変わらぬ姿勢で生活していて、原子炉は相変わらず、直ったわけでも、冷却装置が成功したのでもないのに、新聞にさえ、原子炉の様子はのらなくなってしまった。
★テレビも思い出したように記念碑的に「あれから○○の5カ月」という取り上げ方ばかりで、外に出て遊ぶことも出来ない福島の子供の事や、相変わらず食品や魚や肉に含まれている放射線量(放射能というと馬鹿あつかいされる)の事はもうあたりまえのように触れることもなくなった。
★昭和18年に生まれて5人兄弟の長男であった小生は、とうとう中年になるまで乳歯が永久歯に生え換わる事がなかった。
★丁度2~3才のカルシュームが一番必要な頃にとれなかったので、奥歯は中年迄頑張ったのだが、皆虫歯になって全滅し消失してしまった。乳歯がそんなに頑張れるわけはない。
★親父が戦後20数種の職業を換え、一家は8人で中部地方を転々とした。
★極貧の生活で畳は藁になり果てて、床から木枯らしが吹きあげ、晩御飯は沢庵に海苔も巻いてないおむすびとか、1日置きに素うどんの夕食を食べたりして育ってきた。
★戦後の厳しさは力の弱い女(昔は弱かったんだ)子供に一気にのしかかる。
★子供は大人の運命にながされるままに、せめて学校の休みに働いて金を親に渡す他ない。
★友達が楽しかった学校のやすみは働かなくてはならないので、こっちは楽しくなかった。
★戦争の傷跡は子供にどれだけの災いと悲しみを与えるのか?
★だから、東北と福島の子供達のこれからを思うと涙がこみあげる。
★大人たちよ、原発を推進し、容認し、反対したと言いながら何も原発の代替策を訴える事もなかった全ての大人たちよ。
★忘れた顔や、忘れたふりをするな。
★子供たちに謝る事をわすれたか?
★あやまっても謝りきれない事をごまかすな!
★戦争も原発も記念日にしてすますなよベイビー!
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