大隈講堂で芝居。

★写真は早稲田の大隈講堂です。
★さて、本日は午後、早稲田の大隈講堂へ久しぶりに行きました。
★ここで、わが尊敬する劇作家の平石 耕一さんの講演と、彼の演出したご自身の作「センポ・スギハァラ……再びの夏」が上演されたからである。
★大隈講堂はなつかしい。18才から23才までの5年間ひたすら芝居をやった劇場で、ここで5本の芝居の演出をして、5本の舞台に役者として立った場所だ。
★1200人を収容する大劇場で、小生の演出の原点はこの大劇場の舞台だった。
★田中千禾夫の「マリアの首」j.Pサルトルの「汚れた手」テネシー・ウィリアムズの「焼けたトタン屋根の上の猫」クルチコフスキーの「自由の最初の日」等いずれも上演時間3時間を越える大作であり、またこの劇場は日本で3っつしかないクッペルホリゾントがあり、大舞台を組んでの芝居を演出した。
★これが小生の演出の原点なので、どうしても小劇場での少人数の芝居は苦手だった。
★その為後年始めた八騎人(ハッキジン)という演劇集団では、アングラ全盛の時代にいつも20数人のしかも大舞台の芝居を企画し1回公演を打っては赤字を出して、2年間はその赤字を返す為公演が出来ないというような事を繰り返していた。
★したがって、少人数の芝居は今も苦手だ。それなのにどういうわけか不思議と少人数の芝居ばかりが雑誌に載ったり、評価される。
★それはさておいて、平石 耕一さんの講演は中々深い話で、聞いている中で、今回11月の公演の本のヒントがひらめいた。
★講演も笑いが時々出たりして、素晴らしいものだった。
★そのあとの芝居は以前観た物の改訂だったが、新たな感動をふたたび受けた。素晴らしい芝居だった。
★芝居が終わり、片付けの間平石さんと初めて会った平石さんの御子息と3人で軽く飲んで話した。
★平石さんの芝居は常に刺激になり、その話も色々と弾む。
★打ち上げに向かう平石さんと別れて、息子さんと、高田の馬場迄の道を語りながら歩いて帰る。
★早稲田もその道もぎっしりと熱い思い出が詰まっている。
★約5年間、嬉しい事も、悔しくて眠れないような途物裏切りも、地獄のような恋愛の傷もあった街だ。
★大隈行動も内側こそ変わったが、ほとんど昔のままであり、街の通りも変わってはいるが、往時のままだ。
★あれから、もう50年が過ぎた。
★なんという年月なのか……1世紀の半分が過ぎている。
★爺になる訳である。坂を歩くだけで息が上がる。これも仕方がない。
★1960年17才だった自分の青春を小説にしようと思っている。
★これは芝居もしたいが、まず小説で、来年は何としても仕上げようと思っている。
★なんか芝居ばかりの毎日で、中退した大学に、平石さんが代わりに凱旋公演をしてくれたような、嬉しい一日だった。
★ベイビー!青春、青春、青春また来たらずだ。
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