相米慎二との日々#4

★近所の公園の梅です。2月2日に撮影。
★さて、「ションベンライダ―」という映画の続きです。食堂の通行人の撮影が終わり、その日熱海まで移動して、公民館のようなところで「寄合い」(古い言葉だねー)のシーンを、また別の役所の職員の役で参加する予定だったのですが、やはり予定は伸びて、熱海に泊まりとなり、翌日の撮影という事になりました。
★それ程多くの撮影に参加したのではありませんが、通常監督はキャメラの横のディレクターズチェヤーに腰かけて、カメラをのぞいたり、カメラマンと打ち合わせをしたり、時にはカメラマンと撮り方についてのやり取り等で、撮影が押したりするのですが、相米監督の場合は、ほとんどそういうことはありませんでした。
★撮影がストップする時は必ずと言っていい程、役者へのダメ出しと演技指導で、近くの蕎麦屋や喫茶店などに少年たちをよんでの話合いがとてつもなく長くなり、撮影が押すのです。
★ですから、その為予定はどんどん伸びて、熱海の撮りが翌日に延びたりします。
★なんで撮影が延びているか一部わからないスタッフは、待機の長さにじれてきて「おい、何待ちなんだよ、いったい」等と助監督に詰め寄ったりします。
★ですが、承知している助監督たちは、古いスタッフをなだめて、長い待機時間をなんとか持たせていくのです。
★この映画は殊更少年少女が主役の映画でもあったので、こういった光景が多くみられました。
★勿論あの有名な長回しの段取りはカメラマンの田村正毅さんや伊藤昭裕さんとあらかじめじっくりと打ち合わせしてあったのだと思いますが、撮影が始まると、監督は本当に長時間役者と納得がいくまで話し合います。
★こういうタイプの監督にはあまりお目にかからなかったと思います。

★写真は当時の台本です。この脚本をぱらぱらとめくって気が付いたのは、ジョジョ役(長瀬 正敏)のセリフの所に、処々横棒が引かれていて、カタカナでアク・アクと小生の字で書かれたところがありました。
★記憶に薄れてしまっていてあまり覚えていないのですが、多分アクセントのチェックを監督から頼まれてセリフの横に、記入していたのではないかと思われます。
★撮影に入る前の演技のための特訓と、まるで芝居の読み合わせのように丹念に台本の読み合わせをやっていたように記憶しています。
★その時の藤 竜也さんのウィスパーに近いぼそぼそという言い方と、突然どなりだす強弱の付け方、リズミカルなしゃべり方には感嘆させられたものです。
★さて、その途中の昼休みだったと思います。相米監督とプロデューサーの方と小生3人で食事をしていた時のことです。 相米監督がふとこんなことを言いました。「ねえ、高谷さん、書き直しのために、破り捨てた原稿用紙を惜しむような作家は駄目だよなあ」「まあ、そうですね」と小生。
★何のことかわからずそう答えると、監督は「同じようにさ、NGになったフィルムを惜しむような監督はろくなもんじゃないよね」その時、本当に苦虫を食いつぶしたように顔をしかめていたプロデューサーの顔は、今でもはつきりと目に浮かびます。
★スケジュールの延長といい、長回しによる予定以上にオーバーするフィルムの量は、半端なかったのだと思います。
★そのため、分かってはいても、製作者としては次々に起こる予算オーバーについては、きっと我慢ならなかったのだと思います。
★それでも、相米監督の予算超過やスケジュールオーパと、とことん戦い、自分の納得のいく映画を撮り続けていた姿に、小生は圧倒されました。
★日活の助監督時代の我々の劇団「八騎人(ハッキジン)」の稽古場に遊びに来たり、麻雀をしたりしていた相米とは全く別の、名監督相米慎二を目の当たりにしていたのです。
★「英雄色を好む」ということはご多分に漏れず色々ありましたが、ここには書けません。
★小生が一番好きな作品は「魚影の群れ」です。緒方 拳さん夏目雅子さん佐藤浩市さんも素敵でした。
★そしてDVDをもっていたても、未だに、中々観ることが出来ないのは遺作になった「風花」です。
★これも大好きな小泉今日子さんが出ているのに、なぜか未だ観ることが出来ません。
★あまり引っ張っていると、こっちの寿命がなくなってしまうのに、春が来たら、心を決めて「風花」を観ようと思っています。
★それにしても、あんなに若く才能を散らしてしまった、相米慎二という大監督を今でも小生は悔やんでいます。
★あれから40年、「ションベン・ライダ-」この頃、まだ小生38歳の若造でした。相米監督も33才でした。「青春、青春、青春また来たらず」―これ本当にあのゲーテが言った言葉なのかい?
★本日これまで、お休みベィビーまた気が向いたら。
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