申請・登録の〆切が終わったら大晦日(おおつごもり)

★写真は我が家のベランタから見えたこの日の夕方の富士拡大版です。
★締め切りに追われて、気付けば、大つごもりになってしまったと言うとかっこいいが、役所の申請・戯曲のアーカイブスへの登録等がこのところずーと重なり、煩雑で、直し直し、やり直しの書き込みの日々で、片付けもなんのその、ついに大晦日に入っていた。
★昨日は南青山の海抜32メートルあたりへ行って墓参りをしてきた。いつもは大晦日に家人と参るのだが、寒波の襲来が予想されたたため、いつもより早く29日に青山墓地へ墓参りに行き、父・母と、失意の内に亡くなった妹に参拝。その他の先祖も含めて、一応キリスト教式に祈りを捧げて、1年の感謝と来年への祈りを上げる。
★犬養毅の書生だった、祖父の先見の明(?)のおかげで、我が家には不似合いな青山墓地にいつでも参拝できる。
★そして、ここへ小生が眠る日も刻々と迫っているような気がする昨今。まあ、桜がきれいだそうだから良しとするか。
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★あたりの風景はといえば、不思議な高層ビルが周りを取り囲み、何処からの基地からか飛行機の爆音が絶え間ない。
★けして、墓らしいいたたずまいとは思えないが、このところの歌によると「けしてここにはいません」という事になる。
★生まれる前の宇宙の塵埃になるのなら、仕方ないと思うが、若いころ遊びすぎたせいで、躯があちこち悪くなってきてから、書きたい事、書き残したいことが山ほどあることに気づいてしまった。愚か者でもある。愚かすぎるだろう―
★麹町に家があり、信濃町の慶応病院で生まれ、戦争に負ける2年と5か月は長野県の須坂市へ疎開というか、ソニーの前身の軍事工場で乳母のいる生活をしていた。でも幸か不幸か幸せすぎた頃の記憶はほとんどない。
★だが、戦後父に生きる力と運がなかったため、小生たち一家は静岡に流れ、父は約20種類も職を変え、一家8人はコメも買えず、塩結びと沢庵だけがおかずの夕食や、一日おきの素うどんで過ごした。だから俺はカルシュウムが足らず乳歯が永久歯に生え変わらず、頑張ったけれど奥歯のほとんどは40代前半で力尽きた。
★家の畳はすりきれて藁になり、上敷きも買えず、新聞紙を敷き詰めて暖を取ったが、北風は床下の板の隙間から吹き上げた。冬は寒くて眠れず、夏は藁に住み着いたノミや虱が痒くて眠れない。
★だからいまだに眠れずに夜型生活だ77歳だぜ。いい加減4時に寝るんでなく、10時に寝て4時に目が覚めたりしてみたいもんだ!
★「戦後は皆苦労したの」よと言うが、違うね。4軒に一台、テレビが買えたくらいの時代の話だ。
★ある時某女性ライターにエレベータの中で、傘が買ってもらえず長男の俺はいつもぬれねずみで、びしょぬれで学校まで走ったといったら、「また貧乏自慢か」と大声であざ笑われた。つられてまわりの4,5名も笑った。
★貧乏を自慢するか?自慢になるのか?
★俺は絶対にあの女ライターを許さない。
★中学生の頃、暮れには必ず、花屋のおばさんのりゃかーをおしたり、かまぼこ工場で、小魚のはらわたを裂いて、大晦日に終わって、帰ってきて銭湯に行っても、腐った魚のにおいは全身から抜けなかった。
★なぜ、学校に休みがあるんだ。休みさえなければ、働かなくて済むのにと思った。俺には学校拒否なんて信じられん。
★さて、大晦日、玄関の上り口に、井原西鶴ではないが、帳面をもって何でも付けで買っていた、乾物屋八百屋の借金取りがきて、すわりこみ、お袋と喧嘩をしだす。
★「なにも無いのよ。すっからかんだから、家探ししてみたら!」」「そんなこと言われても、一銭も持たずに親方のとこへは俺だって帰れねえんだよ」」「だったらそこに座ってれば。何もでやしないから」
★親父はその頃自転車に乗って、静岡の街をさまよっていた。酒が一滴も飲めない父に寄れるしゃれた喫茶店等ないころの話だ。
★紅白歌合戦がどんなにダサかろうと、家族そろってみられるという借金取りの来ない、今の普通の事の幸せを思う。
★だから、紅白だけはやめないでほしい。そして、行く年くる年鐘の音を聞いて、借金取りはいつの間にか消える。
★そして、新しい年が来る。去年がチヤラになりさえすれば、また少しはましな年が来るだろう。それこそが希望っていうもんだ。
★コロナ?なんて、どうって事ないよ。人は生まれ、死ぬんだ。花に嵐の例えもあるぞさよならだけが人生だ。
★うん、生まれはいいんだ。墓地も一等地。ただあいつ育ちがね……人間氏よりも育ちっていうだろ?
★お休みベィビー、また気が向いたら!
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