秋、晴れた黄昏れの小さな日常

★写真は公園に備え付けの本日といっても10月6日の気温計。20..6度。5時といっても午後の5時です。
★晴れた日は、決まって夕方になると自転車に乗って、先ずは近くのコンビニへ行く。勿論マスクをして。
★スポニチと日刊ゲンダイを買い、お茶か時にノンシュガーのコーラと夜食用のパン、たまに週刊誌を買って、SUICAで精算して、持参のナップザックに自分で入れて、自転車で近くの公園へ。
★大体決まった東屋の下のベンチが開いていれば、そこのベンチを持参のアルコールのペーパーで拭いて座る。
★そして、やおらナップザックから取り出した新聞を陽が落ちるまで読む。
★この頃陽はすぐ落ちる。落ちたら傍の自転車置き場に自転車を止めて、歩き出す。
★最近覚えたスマホからイヤホーンで、音楽を聴きながら歩く。フランク・シナトラ/エルビス...プレスリー/スピーディー.ワンダー/グレン...ミラーを一曲ずつミックスしてやや速足で歩く。
★音楽が2周りで、だいたい元の自転車の処へ帰ってくる。
★小さな犬にリードをつけた叔母さんやおじさん、速足で歩く杖ついた叔母さんや、、1周1500メートルの芝生や山の周りをひたすら走り続けているおじさんもいる。
★多分みんな俺よりは若い。そんな年どころになってしまった。
★大したものではないが、自転車の籠に、ナップザックは置かない。
★実は今から59年程前、ナップザックを担いで、よく、新宿のラセーヌとか、池袋のドラム、渋谷のセンター街にあったマリンバ等のジャズ喫茶に入りびたりだった。
★劇団こだまという早稲田の劇団に入っていたが、芝居をやる趣味はあっても芝居を見る趣味はなくて、ジャズの生演奏のとりこになっていた。
★スタイルはスリムなジーパンに、深夜のTVのテストパターンのように赤青黄色緑の縦じまの派手なYシャツを着て、ナップザックを片掛けにして、歩いていた。
★足元はただしビーチサンダル。髪はエルビスの入隊にちなんでGIカット。身長167センチで体重は47.5キロだったからがりがりで、足は長く見えた。ナップザックは両背中に背負うことは絶対になかった。なぜか?
★終戦後復員兵が戻ってから10数年くらいしかたっていないので、リュックを連想させる背中の背負い方には抵抗があったからだ。
★何年前だろう、リュックサックがはやりだして、女子高生までリュックを担ぐようになって、なんか戦後直後の様な感じがして、怖くて慣れるまで大分かかった。今では自分も平気で楽なのでリュックサックを背負っている。人間なんて愚かなものだ。馴れを超える術はないのか?
★よく1960年代の映画を若い監督などが撮ると、平気で若者のTシャツが出てくるが、それも間違い。下着のラインはVで襟付きのシャツか、襟付きのポロシャツを着ていた。Tシャツが入ってきたのは1970年代くらい以降だ。
★それはともかく、同じジーパンにナップザックで歩いていると、自分の中で41年もの年月が流れたことに愕然とする。
★なんの間違えか77-18は59だ。後で気づいた。訂正41とはなんの計算間違えかわからない。ボケとる。
★なんとか長生きしたいために公園を走ったり歩きまわる、中年や老年の人達を軽蔑していたが、そうはいかなくなった。
★躯のあちこちが悪くなり、書きたいことが山程あるのに、時間ではなく寿命が足りない。
★そのために、晴れた日は歩き、雨の日はスクワットをする。
★何とか言って延命でしょ、と言われると思うが、所詮人生、うまく運ばない。体力が有り余っている時は何も書くものは思いつかず、来る締め切りに追われ続けて、入ったギャラは使い果たした。
★しかしあれも書きたいこれも書きたいと思う頃には、問題は体力の壁だ。
★ボクサー型に減量をとぎすまして、感覚をけずって一気に書く小生は、年寄り並みに1日原稿5枚づつとか計画的に何かを作り出したりは出来ない。
★だから、朝起きた時からどれだけ平凡な日常感覚を夜中までかけて、研ぎ澄まして余計なものを削るかという事だけが問題で、朝早くおきて早く寝るというような健康的な脳では何も生まれてこない。
★書くことは全くの健康では何も生まれない。世の中や友を斜に構えて、ほんの少し不健康じゃないと何も生まれないのだ。少なくとも俺は…
★だから迫りくる死の壁と、体力の限界と闘い続ける!
★飲み続けている薬、9種類をきっぱり全部やめてやろうかと思う。
★やめて己の躯の内部を信じることしかないか?寿命が10分の1になり、くたばったとしても…
★ほんとのところいのちの電話に相談したいよ。冗談だけどさ。
★本日これまで、おやすみベィビーまた気が向いたら。
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