私と演劇11

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の演出風景です。
★私と演劇「11 コロンブスの卵」
★一昨日のブログで効果について、次回にと書いて飛ばしてしまったので、そのことを語ります。
★生活費を稼ぐのにカツカツで、大学2年の6月公演はギリギリまで働いて休みをもらい、効果(今でいう音響効果)の助手をなんとかやらしてもらいました。
★当時の効果はテープレコーダーを使い16ミリのテープで音を出していました。
★しかも舞台の見える観客席側から音をだすという発想がありませんでした。
★したがって舞台の大道具セットの後ろに隠れ、場所を取ってもらって舞台奥から音を出すのです。
★「愛と死の戯れ」は柱と壁のパネルがきっちりと立て込んであって、後ろからは芝居がうまく見えません。
★そこで割合中央寄りの柱の陰で、観客からは見えないところに効果のチーフが陣取り、芝居の進行を覗き、上手と下手の奥に私ともう一人の助手が1台ずつのテープレコーダーを構えて、首に麻紐を巻き、その紐の先端をチーフが持つわけです。
★特にセリフではなく動きのきっかけで、音を出す場合は、チーフは上手のテープに音が入っていれば、上手側の麻紐をきっかけで引っ張り、下手側のテープに音が入っている場合は、下手の麻紐を思い切り引っ張るのです。
★首に巻かれた麻ひもが引っ張られた瞬間に、小生のようなテープレコーダーの今でいうオペレーターは音のスイッチを入れます。
★すると音楽なり、効果音がそのテープレコーダーから流れて、会場に聞こえるという仕掛けです。
★勿論大隈講堂は日本で3ッつしかない、クッペルホリゾント等がある大きな劇場でしたが、今でいうミキサールーム等はなかったからなのです。
★それから何年か後、ブレヒト的手法(音響や照明の機材を観客にわざと見せる)という手法と共に、効果のスイッチヤーの席が観客席の後ろから音を出すようになったのです。
★「芝居を見ながら、音が出せる!」これは当たり前のことなのですが、画期的な出来事でした。
★こういう事を日本で初めてやった演出か、舞台監督は誰だったのか?今では当たり前のことですが、本当に演劇史はこういう大切な処も調べて書いてほしいものです。
★照明のきっかけを出す場所も多くは舞台の奥に有ったと思います。ミキサー室のついている劇場はともかくとして照明のスイッチもまた舞台奥の袖に有ったのです。
★これこそ、コロンブスの卵でした。
★今では当たり前の、芝居を見ながらスイッチを入れるという事が、こんな歴史の上に有るのです。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
theme : 伝えたいこと・残しておきたいこと
genre : 日記