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私と演劇10

蛍演出光景5

★写真は「蛍よ妖しの海を翔べ」の演出風景です。

★私と演劇「10 初めての演出」

★さて、色々あって、大学3年の春田中千加夫作の「マリアの首」という3幕の大作を演出することになりました。

★当時のレパートリーの決め方は、何本かの脚本(既成の)をそれぞれの推薦者が推薦し、最終的に劇団員全員の投票で多数を占めた物が次期公演のレパートリーになり、そのレバートリーを推薦していたものが演出をやるというシステムが、先輩から受け継がれていました。

★たとえ一票でも決選投票で上回れば、それを押していた者は演出になれるのでした。

★たしか1票ぐらいの票差で小生は「マリアの首」を6月に、大隈講堂で上演することになったのです。

★それは幸運なことだったかもしれませんが、当時早生まれの小生は20歳。勿論演出などやったこともなく、実に無謀な事でもありました。

★当時の日記に「田中千加夫というとてつもない大人が目の前に立ちふさがり、俺は何もできない」と書いてあります。

★とにかく手さぐりで演出をするのですが、何をどう演出したらいいのか見当もつかないありさまでした。

★劇中3回程まったくの詩がセリフとして現れたりするので、ちょうどパンフレットやチラシの印刷を頼んでいた印刷所の安田さんという方がタンゴのギターの名手だったことがわかり、その方に下手舞台に座って、ずっと出てもらい、時々生でひいていただく事を考えました。

★いろいろ波乱もありました。主役をやっていたIさんが、急性の盲腸炎になり手術をしなければならなくなって、公演の20日くらい前に降板せざるを得なくなりました。

★あわてて、演出女子をしていたTさんを代わりに立てて、必死の稽古という事になりました。

★当日は当時理工学部に所属していて、後に丸紅飯田から最後はアメリカのシリコンバレーの会社にひきぬかれるという逸材のA君が制作をやってくれて、これが凄腕で、お客はオーバーでなく、スクールバスが大隈講堂の傍に着くたびにドンドン溢れてやってくるほどでした。

★これには一つの仕掛けがあり、制作で考え出した、「チケット立ち売りの日」というのが功を奏したのです。

★その頃1960年代の初めは道路でチラシを蒔くとか、人を勧誘するなどという事がまだなかったのです。そんな折、新宿の文化服装学院や目黒の杉野ドレメの下校時に待ち構えていて、駅に向かう女の子達を捕まえて、チケットを立ち売りするのです。

★小生はそういう事が下手で、しどろもどろで、女の子をチラシを持って立ち止まらせるという事さえできなかったのですが、後にアナウンサーになったO君等は1日に80枚もチケットを売ったものです。当時確かチケットは150円くらいだったと思います。

★そしてこの公演は嬉しいことに原作者の田中千加夫さんが観に来てくださったという事です。

★ロビーで休憩時間に先生を見つけあわてて、コカコーラを買ってきて、瓶ごと「どうぞ」と差し出したまま、一言も口のきけなかった小生でした。

★あの時田中さんは何と思ったのかという事だけが気になったまま、残りました。「学生のやる事だからしょうがない」と思われたのか、それとも新人会で上演したあの名作を「こんな駄作にしてしまって!」とお怒りになったのか?今では知る由もありません。ただ、差し出したコーラを飲んでいただけたのがせめてもの救いでした。

★とにかく土日で、3回か4回の公演でしたが、大隈講堂にセットを組んで生演奏も入れて、3時間余の3幕の舞台はとにかく終わったのでした。小生二十歳の夏6月でした。

★さて、本日はテレビ朝日アスクの3回めの授業終わって、6人程の生徒と六本木のサイゼリヤでしばし歓談をして、ものすごく混んだ金曜の電車に乗って帰ってきました。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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genre : 日記

私と演劇9

蛍演出光景4

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の演出光景です。

★私と演劇「9 信長とお市の方」

★たしか大学2年になった頃だったと思う。朝早くから電通PRセンターという処で新聞切抜きのバイトをして、夜は新橋演舞場の合同公演「信長とお市の方」に出演し、帰りは夜中過ぎで、へとへとになりすぎて、いきなり失語症のような状態になってしまった。

★何とかしなければと、舞台は役があるので、やめられず、電通PRセンターを止めて、舞台に専念した。

★役と言っても、エキストラで、一人何役も、信長の家来とか明智光秀がたの家来とかを衣裳をとっかえひっかえやらなければならない。

★出演は先代の市川団十郎と先代の水谷八重子。演出は俳優座の第演出家千田 是也さんである。

★当時商業演劇は新作も月末の28日頃まで別の演目をやっていて、新作の稽古は3日とか4日徹夜でやって、1日に幕をあけるという過酷な状態でやっていた。

★驚いたのは水谷八重子さんで、3日も間が空いてないのに、セリフは完璧に入っていた。それに反して団十郎さんは、芝居が始まって20日程はセリフが入らず、黒子のプロンプターがしゃべってからそれを聞いてセリフを言うので、間は抜けるはテンポは出ないわで、初日と楽では全体にかかる芝居の時間が大げさでなく、40分くらい違ったものである。

★舞台稽古の時塀の前に立つ槍をもった衛兵をやっていて、客席から千田さんが舞台に上がってきて、槍を持って実際に踏ん張って立って見せ、「こういう風に立ちなさい」と駄目を出された。

★軸はブレ身長167センチ体重47.5キロのガリガリの小生、一生懸命千田さんのまねをして立っても、どうにも形にならなかったのを覚えている。

★本能寺の立ち廻りの本番で力任せに竹光の刀を振り回し、刀が折れてしまい、代わりの刀を小道具の係りにたのむと「団十郎にわたす刀はあってもお前らに渡す刀はない!」と怒鳴られて、支配人室に学生数人で抗議に行き「代わりの刀がもらえないなら出ない!」と騒いで、新橋演舞場始まって以来のストライキだと有名になったのも懐かしい思い出である。

★さて、2年になり、授業には出ず、やがて6月劇団こだまでロマン・ローランの「愛と死の戯れ」という芝居をやった。しかしこの頃父が失業し、妹が上京して4畳半のアパートにいることになったので、小生にすべての生活費がのしかかった。

★芝居どころではなく、目黒の結婚式場雅叙園で長い廊下を下げおろしのバイトをやった。

★夕方、バイトの終り際に1階と地下の中間にエレベーターを止め、お客の残したビールを飲み(すぐ顔に出るので、)日当600円をもらって赤い顔をして目黒の権之助坂を登って上石神井に帰り、父に200円妹に200円小生200円と分けて、「芝居がやれたらなー」と随分悔しい思いをした。

★結局芝居にも何とか参加は出来たけれど、効果のオペレーターとしての参加が精いっぱいだった。

★金がなければ芝居は出来ない。この時痛切に思った。

★こうして本番が来るのだけれど、その効果のオペレーターの驚くべき音出しの仕方はまた次回に。

★本日は上石神井で昨日に引き続き、今回の公演の反省会を劇団員だけでやりました。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。


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genre : 日記

合評会

蛍演出光景3

★写真は「蛍よ妖しの海を翔べ」の演出光景です。

★さて、本日は「蛍~」の公演が終わり、初めてその時のメンバーが顔を合わせて、合評会をやりました。

★もう次の芝居の稽古に入っていたりして、都合で5人程これなかった人もいたのですが、15人程が久しぶりに顔を合わせました。

★楽の日からまだ1と月も経っていないのに、何ともなつかしい同窓会のような感じです。

★まあ、色々な報告とそれぞれこの芝居に関わっての感想などを中心に語り合いました。

★芝居は究極の処稽古に出てくるという事と、どれだけ多くのお客様に観ていただけるか?に努力するという話を小生はしました。

★勿論お客様の前で何をどう見せるかという事が一番大事な事ですが、それは言わずもがなの事なので、あえて言いませんでした。

★やはり20人の役者さんを集めるとそれなりにスケジュールの上で稽古の休みが多い人が出できて、それを調整しても限度があり、稽古が代役によって行われ、その分後ろへ稽古スケジュールが押していくという事が出てきます。

★それによって玉突き状態になって、本来たっぷり取っていた稽古が少なくなってしまい、演出は何とか一定のレベルを均一に芝居にという事を求めてしまい、徹底的にやるべき稽古が出来なかったり、又ある程度の芝居の出来る人については、ダメ出しや稽古がおろそかになるという事態を起こしかねません。

★それと、どうあっても、お客様の前で芝居は行われ無ければならないので、我々のような集団は制作の動員という事もさりながら、1人でも多くのお客様を劇場に引っ張ってくるという一人一人の役者の努力もなくてはならないという事です。

★そんなことを感じました。

★今回は優れた客演の方々に支えられて、この大きな規模の芝居が奇跡的に出来たという事の感謝も述べました。

★会議終わって、予約してあった近くの飲み屋での飲み会。

★ひさしぶりに芝居の渦中ではない処で、飲み、語り、食べて、皆の交流を更に深めて、一応今回の芝居は全て終わったという事になりました。

★無事好評のうちにこの大規模な芝居が終れたことを、参加した皆と芝居の神ディオニソス(?)に感謝をしました。

★そして改めて、寒く忙しい中御観劇くださった皆様に感謝いたします。

ありがとうございました。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。

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genre : 日記

私と演劇8

蛍演出光景2

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の演出光景です。

★私と演劇8 「8 夜明けの山手線」

★さて、劇団「こだま」に入ったものの、何をどうやったらいいのかさっぱりわかりません。

★どうやら6月の公演、サルトルの「恭しき娼婦」では大道具の助手に役目が決まり、それとは別に男3というセリフの無い役をもらいました。

★それは娼婦が匿った黒人狩りに来る男1の子分で男2とともに約3分程舞台に出るだけの役でした。

★それでも必死に役作りなるものをして、腰に投げ縄をぶら下げ、縄を頭の上でぐるぐるとまわしながら、部屋に入ってきて、部屋の中を黒人が隠れていないかと家探しするのです。

★口にはガムを噛み、セリフはなくとも、わざとクチャクチャと大きな音を立てて、殊更下品にガムを噛みながら部屋の中をウロウロ探します。

★おとこ1と娼婦のセリフのやりとりが少しあって、3人はほゞ3分程で舞台を去ります。

★その3分にまるで命を懸けるように出来る限りの工夫をしました。

★公演場所は千五百人人はいるという早稲田の大隈講堂。ちょっとばかり笑いが取れて、ほどほどに主役たちの邪魔もせず(いや目立ちすぎで今思うと相当じゃまだつたとおもいます)演じることが出来ました。

★勿論学生演劇と言えども当時150円か200円の料金のチケットを発行して採算を取っていました。

★以来3分で笑わせるという役に全勢力を掛ける芝居が多かったので、近頃出番の多い少ないという事で、役を評価する役者が多いのには未だに、共感を得ることはありません。

★役者という者はどんなに出番が少なかろうと見せ場がなかろうと、舞台に出てきたら全身全霊で存在することに賭けるべきだと思うからです。

★それに小生芝居を書く時はそんな経験もあって、どんなに出番の少ない役でも、必ず見せ場をつくろうとして、お客から、「そんなに脇役まで気を配りすぎて芝居を長くすることないよ」といつもおしかりをくらう程どんな役も書き込んでいます。

★話はそれました。だが、この頃稽古場を交互に使う自由舞台はチェーホフの三人姉妹を鈴木忠志の演出で上演し、隣の部室の演劇研究会通称ゲキケンは大谷静男さんの九州の三井三池騒動を元にした、創作劇でを上演していました。

★いかにサルトルと言えども出演者6人程の「恭しき娼婦」は何とも小さな公演に思え、劇団の力のなさを痛感したのです。

★なんだこの劇団は!4年生5年生も居て、1年では何も言えないいらだちの中で、ストレスは溜まる一方でした。

★「絶対に劇団に革命を起こす」同期に入った一年生と、その頃盛んだった深夜喫茶に入りびたりで、夜明けまでコーヒー一杯でねばりながら、語り合ったものです。

★そして夜が明けると一駅分の切符を買って、始発の山手線に乗って眠るのです。山手線が3周廻る位眠りこけて、目が覚めるとラッシュのサラリーマンなどが乗り込んできて、あわてて、電車を降りるようなありさまでした。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。

theme : 伝えたいこと・残しておきたいこと
genre : 日記

私と演劇7

蛍演出光景1

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の演出風景です。

★私と演劇「7 大学へ行ったものの」

★夢と希望にあふれた大学生活が始まりましたが、5月にならないうちに早くも挫折しました。

★今だから言えるのですが英語とか第二外国語はともかくとして、演劇の授業は教授が自分で書いて文庫本として発売されている本をテキストとして生徒に買わせて、その本に沿って授業を進めるだけなのです。

★ほとんどその通りに授業を進めていくので、その文庫本を読めば1年間教授が教えようという事はたちどころに分かってしまうという味気ない授業でした。

★おりしも大学のクラブのオリエンテーションが盛んで、その頃早稲田には20くらいの学生劇団がありました。

★その内大きな劇団は「演劇研究会」(通称ゲキケン)「自由舞台」「こだま」「素描座」そして教育学部限定の「仲間」の5つでした。

★後に寺山修司と活動を共にするあの東 由多加等が1年下で「仲間」に入って来るのですが、その話は置いておくとして、なんとなく、その他の劇団の名前の仰々しさに田舎者の小生は怯えて、「こだま」という劇団をチョイスしました。

★当時の21号館裏に長屋の連なったような古い部室があり、その薄暗い「こだま」の部室へ初めて行った日に、Sさんという女生徒が腕組みして煙草を吸っていたのを記憶しています。

★其れまで、女の人がタバコを吸う光景はほとんど見たことがなかったので、何か場違いなところに入り込んでしまったなーという恐れとおののきを感じたものでした。

★その女の人が春6月の公演で演出をやり、サルトル作の「恭しき娼婦」に小生初めて出演するのですが、その話は又明日。

★おやすみベイビー!また明日。

theme : 伝えたいこと・残しておきたいこと
genre : 日記

私と演劇6

蛍稽古場B

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の稽古風景です。

★「6 演劇につかりすぎて」

★年一度の文化祭の演劇上演に明け暮れて、成績はとうとう最下位になってしまいました。

★静岡高校は当時県下一の受験校で、テストの成績はその頃、1番~360番まで廊下に張り出したものです。

★小生は3年の志望校を決める頃、あるテストで347番。その後ろの13人は当時甲子園で決勝まで行き後に巨人に入った柴田の擁する法政二校に決勝で負けた野球部のメンバーと、熊本工業と決勝の試合をしたバスケット部の生徒しかいませんでした。

★ということは全国大会で頂点まで上り詰めた者を除いて、小生はテストの成績学年最下位という事でした。

★おまけに本来就職しなければならない経済状況で、中学生の家庭教師のアルバイトをしながら高校へ通っていたという現状でした。

★それでも進路決定の少し前、ラッキーな事に父が東京に就職が決まりました。

★ただその成績ではどこにも行けません。

★役者でもやろうかと俳優座の養成所の要項を取り寄せてみましたが、新聞などの情報を見るとその頃のテスト(今でいうオーディション)はどうやら男子は海水パンツ1枚でのテストの様で、ガリガリの躯(167センチ・47Kg位の体重)ではとうていおいつかないと受けるのは止め、俳優になるのは断念しました。

★大学の演劇科を調べると、早稲田と日大の芸術学部と明治しかありません。そこで無謀にも早稲田の演劇科と日大の芸術家を志望したのです。

★さすがに偏差値がまだない頃とはいえ、担任の先生から「天下の早稲田をなめるな!」と叱られました。そうなると火が付く性格「死んでも早稲田を受けます!」「勝手にしろ!」という先生とのやりとり。

★どう考えても受験校とはいえ東大は浪人を入れて6人程。早稲田20~30人京王20~30人が毎年の平均合格者数。
347番の成績の人間がどう逆立ちしても受かる道理は何処にもなかったのです。

★それでも、運よく1文は落ちましたが、早稲田の2文と日大の芸術学部に受かりました。偏差値も足切などない良い時代でした。

★当時授業料が1年間で36000円。早稲田の方が日大よりとても安かったのと、日大の試験は○×式のテストで、試験当日風邪の為39度の熱を出て、提出制限40分で提出したにも関わらず受かってしまったので、早稲田の2文(夜間部)に決めました。

★そうして上京し、父の住んでいた上石神井の4畳半のアパートに転げ込んだのでした。

★こうしてなんとなく演劇という方向に進む道を決めたようでしたが、まだ確信があったわけではありません。

★本日これまで。おやすみベイビー!また明日。

theme : なんとなく書きたいこと。。
genre : 日記

親友の墓参り

2月の雲

★写真はベランダから見た2月の雲です。

★さて、静岡に2時半過ぎに到着して、ホテルにチェックイン。ホテルの横に有った花屋で花を買って、駅へ戻りました。

★駅でタクシーに乗り、寺の名を告げますが、あまり大きな寺ではなく、街の名前を言ってもカーナビで運転手は探しています。

★スマホで、検索して、住所を言い、ほぼ1メーターでその寺にたどり着きました。

★昨年の1月元旦に亡くなった親友の浅賀俊彦という男の墓をドキドキしながら寺の裏で探します。

★亡くなって初めての墓参りでした。「あった!」そこには浅賀家の墓という墓石が立っていました。

★花の生ける管にはまだ新しい花が活けて有りましたが、その隙間に花を挿しこませてもらい、手を合わせました。

★「浅賀・・・こないだ芝居打ったんだよ、お前に観てほしかったなー・・・・」と語りかけると涙があふれてきました。

★「何で逝っちゃあたんだ。早すぎるよ・・・・」等と声を振絞り墓に語りかけました。

★何しろ中学1年の時に出会い、以来一昨年まで付き合ってきて、静岡と東京に離れてはいたけれど、お互い知り尽くしていて、何でも相談し合い、アドバイスを(ほとんどこちらが彼から受ける一方のような気がしますが)うけつくした親友がいない事の悲しさは何かに振り替えることのできない悲しみです。

★ひとしきり墓の前で泣いて、寺を後にしました。

★帰りは大体道が分かっていたので、なつかしい七軒町から呉服町を通り、途中、谷島屋という昔からあった本屋(でも多分江崎書店という処に谷島屋がそのまま移ってきたような感じがしたのですが)に寄ったり、チエン店の珈琲屋に入りました。

★喫茶店は女子高校生が席巻していてぺちゃくちゃしゃべっていました。吾々が高校生の頃は喫茶店は大人の同伴以外は入れなかったように思います。時代は変わったものです。

★そしてなぜか横浜ラーメンという看板の店でラーメンを食べ、コンビニで夜食用の弁当などを買いホテルに戻りました。

★本来静岡からはそのまま東京へ帰る事が出来るのですが、やはり、この年での強行軍は疲れるので、泊まることにしたのです。

★翌朝、チェックアウトをして、11時過ぎの新幹線で帰京。そのまま2時に六本木の日脚連に着きました。

★脚本家ニュースの校正の仕事をして、2月18日で切れるタブレットの2か月サービス3っつの解約の為に東村山のドコモショップへ寄り、30分程待って何とか2か月一度も使わなかったサービスの解約をしました。

★家にたどり着くと、すぐ一昨日夜京都から送ったバッグが宅急便で届きました。

★こうして、5泊6日の仕事と旅は終りました。

★そして19日木は428クラブ、20日金は夜テレビ朝日アスクの打ち合わせをやり、Jさんの授業を参観してのち、生徒たちと飲みに行きました。

★東京タワーがかすかに見える六本木の夜が次の写真です。

2月の六本木

★そして本日やっとほとんど何もせずゆっくりと休養しました。

★こんな1週間でありました。

★本日これまで。おやすみベィビー!また明日。

theme : つれづれ日記
genre : 日記

冬の金閣寺へ

冬の金閣寺

★写真は冬の金閣寺です。

★さて、朝小倉を発って新幹線で京都へ。

★昨年半日時間が取れて銀閣寺に寄ったのですが、金閣寺と両方を半日で回るというのはいささか年寄りには難しかったので、今回は金閣寺へ行きました。

★京都駅からバスに乗って行ったのですが、このバスが40分以上もかかり、おまけにバスの中は韓国語と中国語が盛んに行きかうというかつては見られなかった光景にいささか度肝を抜かれました。

★勿論観光の都京都を多くの外国人に観ていただくという事に異存はないのですが、金閣寺へ向かう急行バスの中が3分の2以上が外人というのもちょっと異様な感じがしました。

★金閣寺に着いてからも、行列のところどころで、韓国語中国語が入り乱れて、聞こえてきて、まるでこちらが外国にいるような感じになりました。

★冬の金閣寺はやはり比較的新しいので、それほど歴史の重みというものは感じられませんでしたが、それなりに風格がありました。

★旅も中盤に差し掛かり、いささか疲れが出てきたので、この日は早めに寝て、翌日17日は朝10時過ぎに三十三間堂を観に行きました。

★さすがに中に飾られた風神雷神他、観音像や様々な仏様は迫力がありました。


三十三間堂

★そして、すぐ近所にある京都国立美術館を見て回りました。

京都美術館


★3階まで仏像や土器、着物等様々なものが飾られていましたが、大阪か京都のおばちゃん2人が順路を巡りながら大声で全く関係のない世間話をしながら移動しているのにつかまってしまって、あわてて、途中の鑑賞速度を速めて、まわりました。

★沈黙して廻れとは言いませんが、何とも周りの迷惑も顧みず見て回る人が多くなったように思います。

★例えば仏像の前でその由来が書いてあるカードを無意識に身体でふさぐようにして、中々動かない人など、周りへの気配りやエチケットの足りない人が多くなったようで、残念な気がしました。

★そしてこの日は京都を離れ、午後静岡に向かいました。

★静岡は生まれ故郷ではないけれど、小学3年から高校卒業までいた小生にとっては大切な土地です。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。

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theme : 時の記録
genre : 日記

諫早演劇講座本番

諫早演劇矩講座A

★写真は諫早の演劇講座の舞台風景です。

★全館冬の冷房に近いような状態の中で、生徒が書いて、アドバイスして書き直した17分程の作品を3チームに分けて、稽古をし、3時過ぎからトリプルキャストで上演しました。

★かなりの強行軍でしたが、生徒たちはそれぞれに頑張って、小道具を調達してきたり、音楽をCDに入れてきたり、セリフをほゞ1日で覚えてきたりした子もいて、大成功に終わりました。

★終わって、それぞれの感想と反省を語り合い、無事に講座を終わることが出来ました。

★芝居を教えるつもりで、いかに色々な事を教えられるかという当たり前のことに気付く貴重な一日でした。

★諫早の純真な高校生たちに感謝。

★図書館の方や生徒たちとも別れるのも早々に5時半に諫早を経って、博多で新幹線に乗り換え北九州の小倉へ。

★早稲田の劇団の先輩のIさんとその主宰している青春座(戦前からすでに70年以上続いているアマチュア劇団です)の女優さん2人と計4人で食事をしながら、色々劇団の有りようなどを熱く語りました。

★確かに形態や方法論が違っても、芝居を継続して打って行くという事は本当に大変な事です。お互いの方法論や、行き詰ったときの脱出の仕方などを楽しく語り合いました。

★この日は小倉に泊まり、翌日京都に向かいました。

★本日これまで。おやすみベイビー!また明日。

theme : 伝えたいこと・残しておきたいこと
genre : 日記

諫早から西日本の旅

雲海の中の富士

★写真は雲海の中に浮かぶ富士です。

★さて、私と演劇は5までで中断します。後日6から語っていきます。

★というのは、2月13日より1週間諫早で2日間演劇教室をやり、その後小倉~京都~静岡と旅をして、本日18日に帰ってまいりました。

★その間ブログのアップが大変だったのと、その他の諸事情があり、演劇と私を連載させていただきました。

★13日長崎空港から迎えに来てくださった車で約1時間で諫早へ入り、講座の打ち合わせを諫早図書館の方と行いました。

★地元の放送作家Mさんと食事をしながら、色々と語らい明日の講座に備えました。

★翌14日土曜日、演劇とラジオドラマに別れての講座を行い。演劇は生徒の書いてきた台本によってよく15日日曜日に図書館の小ホールで上演する朗読劇(2日間ではさすがの高校生もセリフは覚えられないので、朗読劇風演劇にしたのです)のキャスティングと稽古。

★出演者4人なのでA・B・C3チーム作りトリプルキャストで上演することになりました。

★後残って出演をあえて希望しない数人は効果の選定と照明の確認などをしました。

★そして、小道具等の確認をして、持ってこられるものは明日持ってくるようにして、この日は1時半頃から初めて4時半頃に解散しました。

★高校生たちは大変純朴でかつ一生懸命でした。

★また2人の一般の方の書いたシナリオ等の添削も、4時半から30分程個別に指導しました。

★放送の方はセリフなども取ったようです。私も途中駆り出され、お爺さんの声を短く2か所程吹き込みました。

★そんなことで、14日は終わり、図書館の方々と夕食をとり、諫早の夜は終りました。

★東京とさほど変わらない寒さでしたが、一つ事件が起きたのです。

★それは、小生が図書館に着く寸前に図書館の全ての暖房が壊れて使えなくなったのです。

★何でもモーターが溶けてしまい、(不幸中の幸い火事にはならなかったのですが)直すのには約2週間かかるそうなのです。

★さあ、果たして明日は電気はつくのですが、極寒の図書館での芝居、どうなるのでしょう。

★本日はここまで。お休みベイビー!また明日。

theme : 写真日記
genre : 日記

私と演劇5

蛍写真9小
★写真は「蛍よ…妖しの海を翔べ」の稽古風景です。

★「5 初恋も演劇と共に」

★さて、360人中14、5人の女性徒の中から、演劇部員を確保する事は至難の技でした。

★何せ県下ーの受験校、そこへわざわざ女子高をけってやって来た女傑です。

★簡単な説得で演劇部に入る訳もありません。

★それでもなんとか2人そして3人が入って来ました。

★その中に、1年の頃から気になっていた、K.Nさんがいました。

★さらにラッキーな事に、真船豊さんの名作「水泥棒」を上演する事になりました。

★しかも彼女と手に手を取って駆け落ちをする役。

★手を握るシーンがあり、そこで稽古を演出から止められたのに、駄目を聞いている間握った手を離さなかったのを昨日の事のように覚えています。

★ドキドキして口から心臓が、飛び出しそうでした。

★芝居はやはり、辛い現実の家庭生活を忘れさせてくれ夢のようでした。

★そう、部費という物があり、お金と芝居がほとんど絡んでいなかったからです。

★本日これまで、お休みべィビー!また明日。

私と演劇4

蛍写真6小
★写真は「蛍よ…妖しの海を翔べ」の稽古風景

★わたしと演劇
「その4フィクションの海ヘ」

★高校の演劇部ヘ入った小生だったが、部員は一人。三好十郎を一生懸命読んだけれども、さっぱり演劇と言うもののイメージの実態が掴めなかった。

★そのうち二人三人と部員はふえたものの、当時は360人中、女子生徒は12、3人。

★しかも成績の良い、受験志向の娘ばかり、演劇部等見向きもされない。

★結局男ばかりで、コットマンの「海の底の6人」という芝居を6人の出演者で、秋の文化祭にやることになった。

★演出はS先輩。小生の役は夢見る男ショーと言う役で、海の底に沈んだ潜水艦の中でただ一人犠牲になり、魚雷を抱いて海の上に助けを呼ぶという、主役ではないが、一番の儲け役だった、。

★相変わらず、おばあちゃんを入れて八人家族。父の仕事は安定せず、母とおばあちゃんと父の言い争いは絶えず、
晩御飯は塩むすびに沢庵か、一日おきの素うどんのような有り様。

★高校で放課後芝居の世界に浸っている時だけが唯一生きている気がした。

★その為、私はいまだに家庭を描いた芝居は嫌いだ。

★家庭とは忘れるべきもの。
フィクションは華麗で、嘘っぽければ、嘘っぽい程その海を長く泳いでいられるからだ。

★本日これまで。お休みべィビー!また明日。


私と演劇 3

蛍写真3小

★写真は「蛍よ…妖しの海を翔べ…」の稽古風景です。


★「3 メーキャップに騙されて」

★ラッキーな事に、本来中卒で、就職しなければならないような貧困家庭だったが、ほんの少し父の仕事がよくなり、家庭教師のバイトをしながら、高校ヘ行けるようになった。

★しかも運よく、静岡高校という、県屈指の受験校だった。

★だが、グラブ活動のオリエンテーションの時、演劇部のS先輩が、「演劇にはメーキャップというものが有ります。これを施すとどんなブ男でも2枚目になれます」と不思議な事を言った。

★容姿にコンプレックスのあった小生はこの話に飛びついて、演劇部の 部室を訪れた。

★部室は文芸部との共同部屋で、その時S先輩1人しか居なくて、いきなり3冊の本を渡され「これ、読んどけ」と言われた。

★三好十郎の戯曲集だった。

★「あのう…メーキャップは?」等と聞けるわけもない。

★こうして小説さえろくに読んだ事のない小生の悪戦苦闘が始まった。

★本日これまで、お休みべィビー!また明日。

私と演劇2

蛍写真2小


★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の稽古風景

★「2 学芸会の代役」

★さて色々小学校を転校の末、静岡の安東小学校5年の時でした。

★学芸会があり、宮沢賢治の「よたかの星」をやることになりました。

★そのころは学校で成績の良いものが主役に選ばれるのが常でした。

★私は成績はそんなに良くなかったのですが、主役に選ばれたT君が風邪をひき声が出なくなりました。

★そこで代役に選ばれたのが私です。

★私はそのころ放送部に所属し、大相撲の実況の真似事や、その他の物まねを昼休みに校内放送でやっていました。

★そこに目をつけた担任の先生が「よたかの星」の前半のよたかの役を指名したのです。

★ちなみに後半のよたか役は、後に学生運動のバリバリの闘士となるN君でした。

★忘れもしません、よたか役の前半を終わって体育館から渡り廊下へ歩いてきたときに、沖縄出身の平先生に「高谷君うまかったねえ」と本気で褒められたのです。

★平先生は担任の先生ではありませんでした。だだ大人から本気で褒められたことのなかった私は、密かに「もしかしたら、僕の道はこれかもしれない」と思ってしまったのです。

★以来幾星霜、いまだに誰かに褒められたくて芝居をやっております。

★本日これまで。お休みベイビーまたあした!

私と演劇 1

蛍写真1小

★写真は「蛍よ…妖しの海を翔べ」の稽古風景です。

★さて、毎日の出来事をあれこれ記しても仕方ないので、
「わたしと演劇、或いはラジオ」と題して暫く書いてみようと思います。

★第1回 「それは放課後から始まった」

★昭和26年くらいだと思う。長野県は須坂市のときわぶ小学校。今の須坂小学校。

★小学校3年生でした。

★梅雨時だったと思う。

★放課後、廊下で遊んでいると、担任の小林先生に、「ちょっと来なさい」とよばれた。

★「これを読んでみなさい」と渡されたのが、先生の書いた梅雨(つゆ)という台本だった。

★少年の役で主役だった。

★お母さん役が背の高い確か山崎さん。もう一人妹役がいたが、覚えていない。

★何故なら、放送室で、わたしが背が低く、台の上に乗ってマイクに喋って山崎さんは立ったまま、しゃべっていたので、よく覚えているからだ。

★当時は当然の事ながら、録音はなく、昼休みかに校内同時放送だったので、ガタガタと震えながらマイクに向かっていたのを、昨日の事のように覚えている。

★あれから64年。

★ある意味ラジオドラマとの関わりの初めだ。

★本日これまで、お休みべイビー!また明日

編集会議

蛍稽古場A

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の通し稽古の風景です。

★さて、本日は月に一度の「脚本家ニュース」の編集日で、六本木の脚本家連盟へ。

★今日は3名程の欠席者がいたので、いつもは新聞の4面の編集なのだけれど、1面の見出しの検討という事になり、いささか戸惑った。

★随分以前は1面の編集をしていたのだけれど、小生より編集の経験もあり、そのセンスもいい若い方が増えてきたので、そっちは任せて、4面に移ったのだけれど、そちらも有能な方が出てきたので、最近はもっぱら1面と4面の遊軍的仕事をしていた。

★2・3面が抜けているのは、そこは全面使用許諾の報告証明で埋められるからだ。

★使用許諾の掲載とは?

★何月何日、何処のテレビ局で、誰の書いた何の番組を再放送したかを、記録として脚本家連盟が活字にしておくという事だ。

★これによって、再放送料が各脚本家に払われた。あるいは払われるという証拠なので、これは事務局がやる。

★それ以外の脚本家連盟のその月の活動等が1面、連載エッセィや「現場から」という1~5回の連載、訃報、告知などが4面の編集となる。

★そんなこんなで、本日は早めに3時半に終わる。

★新宿のユニクロで裾上げを頼んでいた、冬物の風よけのジーパンを受け取って、横浜ラーメンを食べて、早めに帰る。

★それから少し、仕事。某教室のカリキュラムの改訂と送付等をやる。

★朝6時に起きて仕事に行っていた家人が、7時頃に帰ってきて、少し眠って、10時頃起きて、軽く晩飯。

★それで何やかやとほんの少し、書斎の片付けをしていると、あっという間に時間が過ぎていく。

★意外に時間はやはり、有ってないに等しい。当たり前のことだ。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。

theme : 日々のつれづれ
genre : 日記

いつもの床屋何時ものラーメン

義経軍団2

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の義経軍団の稽古風景です。

★さて、本日は少し暖かくなったので、伸びた髪を切りに近所の床屋へ。

★相変わらずの床屋談義を聞きながらの一時。

★床屋のマスターは消防団にも勤めていて、この3月で消防の分団長を止めるとかで、なんとか火事なく終わりたいとの祈りに似た思いを聞く。

★むべなるかな。防災とかの職務も夜中に叩き起こされ大変である。

★先日、吾がマンションの別の棟でガス爆発があったが、カセットボンベの爆発に因る事故で、多少窓ガラスが吹き飛んだのだけれど、ガス自殺をして、管理の方がそのことを隠しているという不穏な噂が流れた。

★聞いてみると、確かにガラス窓は割れたが、たいした事故ではなかったとの事。それが、ごく近所なのに何処からか大げさな嘘の噂になり、広まっていた。

★全くこうした根も葉もない噂の広がりには恐ろしいものがある。

★ある意味、TVを初めとするメディアに流れる噂も怖いものである。

★よほど、メディアに対する自分の目、メディア デイテラシイーをきちっとしていかなければならないと痛感する。

★床屋でさっぱりしてから、極上のラーメン屋へラーメンを食べに。

★ただここはうまいのだけれど、値段が上がってしまい、たしかに来る回数が減ってしまった。

★ひさしぶりに堪能。

★帰り来て、CDからウォークマンに録音。エルビス・プレスリー・浅川マキ・森田童子・ナットキングコール等吾ながら随分と偏屈な選曲と思うが・・・・

★これにカルロス・ディサルリのスペインタンゴやテレサ・テンのアルバムとジェリーマリガンのアルトサックスの曲・ベートーベンのラズモフスキーでも入れれば完璧だが、そこまでは行かない。

★本日これまで。お休みベィビー、また明日。

theme : なんとなく書きたいこと。。
genre : 日記

市ヶ谷~新宿

蛍・舞台稽古前

★写真は舞台稽古前の舞台の写真です。

★さて、本日は午後さるシナリオコンクールの審査で市ヶ谷某所へ。

★小生の他2人の放送作家の合議制で、あらかじめ読んできた16作品の中から2作品絞るという審査会。

★コンクールのシナリオの読み方にもそれぞれのドラマ感やモノづくりに対する姿勢みたいなものが反映して、中々同じ作品で一致するという事はない。

★ないけれども、そこはお互いに作品を通して、駄目な部分と良い部分を見直して色々語り、なんとか2作品の一致を見て、審査表を係りの方に手渡す。

★終わって、新宿へ出る。次に会う方との時間が空いたので、ユニクロでソフトダウンのシヨートコートを買う。

★続いて、音楽をダウンロードする器材を物色するが、IPODとウォークマンの2種しかないのにちょっと驚く。迷った末、コーヒーを飲んでしばらく時間を潰し、次の相手、今回の公演でお世話になった方と会う。

★酒を酌み交わしながら、色々芝居の話、その他の話で盛り上がり2時間半ほどで別れる。

★再び気になってビツクカメラの店員と相談の上、ウォークマンを買う。此れはパソコンだけでなく、CDプレーヤーからも録音できるという利点を買った。

★実の処パソコンからの音楽のダウンロードがすこぶる苦手なアナログ人間なのだ。

★それて、そういう機種にした。

★本日は早めに帰宅。ユニクロは好きではないが、とりあえず安いので買ったのだが、ジャケットの上から着るのに丈が短くてみっともないと、家人がケチをつけるので、「防寒だから安いし、何でもいいじゃないか」と切り返す。
「あんたがいいんならいいけど」と言われる。そういわれるとひっかかる。

★まあ、そんなもんだ。

★深夜CDプレーヤーからウォークマンに落とす。まず渡辺 歌子のアルバム。最後の曲「赤いポスター」にはこんな詩が・・・・

★さらば苦しみよ、喜びよ
さらば光、風、薔薇よ
この美しい現実の中に
君は生きて行け 幸せになれ
いつか僕を思い出してくれ

★丘を照らす大きな太陽
自然はなんて美しい
いつか勝利の日は来るだろう。
恋人よ、君に告げる
「君は生きて子供を産め」

★こうして、祖国の為に23人は銃殺されていくのだが、渡辺歌子の声に乗ると、なんとも悲しく、つらい歌なんだといつも思う。「赤いポスター」という曲のラストの部分だ。

★その後、勿論フランク・シナトラのCDを入れて、今夜はここまで。

★明日はエルビス・プレスリーを入れよう。そしてそれらの曲を聴きながら旅に出よう。

★お休みベイビー!また明日。

theme : 日記というか、雑記というか…
genre : 日記

491歩

義経軍団1

★写真は義経軍団のシーンです。

★さて、本日は溜まっていた仕事、メール及びカリキュラムの訂正、審査書類の刷りだし、諫早の作品の刷り出しと検討、
会場へのアーカイブへ納本する上演台本の再点検と刷り出し等々一日中パソコンに向かって居ました。

★途中近くのコンビニに買い物に行っただけなので、歩数計は491歩。

★勿論携帯についている歩数計なので、携帯を置いている間は、小生が何処へ移動しようが一歩も計上されません。

★ただ、491歩でも随分仕事をした気になりました。

★さて、SNSからのご意見です。

★実例が…

5日(木)に起きた和歌山県 紀ノ川での小学生刺殺事件。


★とのご意見ですが、全くそのままお返しします。学校の鉄柵と鍵をするという事と今回の事件は関係ありません。

★あれは被害者の家の近くの空き地で起こった事件です。

★こうした事件こそ、近隣の大人の気配りや、怪しい行動の人間を近所の人たちがあらかじめ頭に置いておくという付き合い方がされなくなったから起こった事件で、被害者には何とも痛ましい事で、お悔やみ申し上げます。

★このところ動機なき殺人が横溢しています。そのことは何が原因とおもいますか?

★この問題は、医者や社会学者、心理学者が寄ってたかって社会の所為だとか、教育の所為だとか学校教育が、先生が、親が・・・・等と勝手な事を言いますが、何一つこれだという理由はあかされていないのです。

★したがって、これを防ぐのにも様々な意見があり、どれ一つとして有効な手立てはないのが現状です。

★そんな中、私の個人的な意見に食いついてきたあなたはなんなのですか?神ですか?

★百人いれば百通りの意見があり、そのすべては正しく、そのすべては間違っているという事です。

★私が麹町の小学校を通った時に感じたやりきれなさを書いたことにそれほど食いついてくるのなら、もうこのブログを読むのは止めてください。

★ちなみに私は72年前麹町で生まれました。それゆえに生まれた古里の小学校が刑務所のように隔離された現在の姿が悲しかったのです。それを書いただけです。

★もう止めます。不毛なので、以後返信しません。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。

theme : ひとりごとのようなもの
genre : 日記

色々と仕事の合間だらだらと・・・・

蛍13

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の一幕一場です。

★さて、仕事の電話をしたり、メールを打って送ったりはしたけれど、何ともピリッとしなくて、部屋の片づけや会場に送る為のアーカイブス用上演台本の改訂作業など山ほどある事が進まない。

★睡眠も足りず、相変わらず鎮痛剤を飲んでも治らないほどの右肩の痛みで起こされたり、(2年かかってで左肩が治ったばかりなのに)しゃっきりしない。

★こうやって多分公演が終わると次第次第に鬱に突入していくのが良くわかってしまう。

★ここを抜け出すには、書くか、次の芝居の計画を早く立てて、先を急ぐしか方法はないのだけれど・・・・

★まあこうして、雨のち晴れという天候の一日が終わった。

★そういえば今日は日曜日だとテレビの番組で知った次第である。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。

theme : 日々のつれづれ
genre : 日記

公演の後片付け

蛍12

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」のプロローグの写真です。

★さて、本日は午後、劇団員の篁(たかむら)と北村が午後劇団事務所へ来てくれて、公演の写真のDVDへの焼き付けと、会場から引き上げてきた小道具と衣裳の暫定的な片付けを夜中までかかってやってもらいました。

★公演というのも上演までが大変ですが、上演後の後始末も結構大変なものです。その公演の規模が大きければ大きい程大がかりらなってきます。

★まだ公演に来てくださった皆様への礼状も書けていない始末であります。すみません。

★公演の為溜まりに溜まった通常の仕事の合間を見つつ、頑張ろうと思います。

★さて、昨日の管理された小学校と子供の未来に対しての小生の意見に貴重な返信をいただきました。

★以下にコピーさせていただきます。

はてな?

小学校に鉄柵と鍵、防犯カメラ。その光景が衝撃的。それには禿同。しかし、そこから導き出した意見は余りに短絡的。現実問題として、子どもが不審者に傷つけられたらどうするのか?あるべき論だけ語る老人の戯言。


★とのご意見でした。これはしかし開放型にして子供を守るか、閉鎖型にして守っていくのかという見解の相違かと思います。

★昔の例で恐縮ですが、私達の子供の頃はすべて学校は開けっ放しで、遊び場のない者は日の暮れるまで校庭で遊んでいました。

★昔は犯罪者や異常者が皆無かというとそんなことはありませんでした。今とさほど変わったとは思えません。ただその日のうちに47都道府県にあつた子供への虐待や犯罪がTVで伝わらなかっただけのことです。

★吾々が子供の頃学校において死にかけたことがなかったかと言えば小生はプールでおぼれかけたり、先生に5をあげるから飛び込んでみろと言われ、5メートルの飛び込み台から飛び降り、水に沈んでもう少しで腹が避けそうになり、死にかけました。小生に限らず様々な危機を乗り越えて、生徒は生きてきたものです。

★問題は管理されて生きていくのか、解放された中で危機を乗り越えていくのかという考え方の違いと思います。

★オウム真理教のサリン事件の後、東京では鉄道の改札口の至る所に監視カメラが取り付けられました。

★そのことによりプライバシーは全くなくなり、犯罪者の逃走ルートも早く特定されるようになりました。それはいいことでしょう。安全な事なのでしょう。しかしそのことで失ったものの大きさを考えるべきだと私は思います。

★ウイークデーも週末も東京の郊外の我々の駅などでも、夜中の0時過ぎに制服姿の高校生や中学生が何人も通ったりしています。誰も注意もしませんし、親はあきらめているのか注意してもきかないのか?いずれにしろ、異常な光景です。

★SNSによる見知らぬ大人との交際にしても歯止めがなにひとつないではありませんか。

★便利だから安全だからと言って文明の進歩をモラルもなしに容認する考えに私は反対です。そうした事には私はきわめて保守的です。しかし親や教師がカメラや鉄柵に頼って子供の安全に安堵して責任を放棄しているのなら、それは違うと思うのです。

★私は少なくともそういう意見です。一頃コンビニの前でたばこを吸う高校生にも注意をし、駅でたばこの吸い殻を投げ捨てる大学生も怒鳴りつけてきた私ですが、「刺されるから止めてください」との意見で止めてしまいました。

★止めてしまったことに反省があります。例え刺されても子供は大人全員で教育していかなければならないのではないかと考えるからです。

★結論。いろんな意見があります。ただ、鉄柵で鍵のかかった麹町の小学校を見た時に私が感じたことです。ちなみに私の住む近くの小学校は鉄の塀や門ですが、別に鍵はかかっておりません。こっちが普通と思います。手ぬるいとは思いません。

★いずれにせよ、このブログは最初から一老人の戯言です。それはあなたに指摘され無くても分かっています。

★長くなりました。ご意見ありがとうございました。

★以上本日これまで。

★おやすみベイビー!また明日。

theme : 伝えたいこと
genre : 日記

四ツ谷~市ヶ谷そして新宿

蛍写真11

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の静です。 撮影 向 操

★さて、本日は午後、放送作家協会の理事会があり、四谷~歩いて市谷の事務所へ。

★理事会の後、有志でお茶を飲み、四谷~新宿へ。

★新宿のビッグカメラで写真を焼き付ける為のDVDを買い、ついでに「アニーホール」「アラモ」「悲しみのトリスターナ」の3本も買ってしまいました。

★四谷~麹町の間で、さる小学校が鉄の柵で囲まれており、鍵が閉められていて、たまたまそこを訪れた生徒の母親らしき人がインターホンで檻の中の学校の先生にに、多分「子供を迎えに来たので入れてください」と言っていたことには驚きました。

★何に驚いたかというと、至る所に監視カメラがあり、学校は刑務所のように隔離されていて、これではまるでレイ・ブラッドベリーやフレデリック・ブラウン等が書いていたSFの世界が現実化しているという事の驚きです。

★子供を守りたい!何としても守ってやりたいという親の希望は分かるにしても、こんな風に刑務所のように鍵をかけ鉄柵で囲んだ中で、子供たちに「自由でありなさい」「のびのびと個性的に」等という事をおしえられるのでしょうか?

★勿論この小学校だけを解放したのでは犯罪者に狙われます。しかし教育者や文科省や親はなぜ、全国の学校を解放しようとしないのでしょうか?

★戦争と同じで堅固に守ろうとすればするほど、犯罪者はその隙間をくぐって悪いことをしようとする絶対的真理が何故わからないのでしょうか?

★子供たちの将来が心配です。

★カナダでは小学生は6年かけて、世界と自分という事、世界の中に居る個人という事を手を変え品を変え教えるのだそうです。

★それは、子供にコンピュータを教えたり、英語(乃至は外国語)を低学年から教えるよりずっとずっと大切な事です。

★世界にはいろいろな宗教、様々な人種、多数の考え方があり、それらを理解して、想像力をもち、その人たちと自分はつながっているのだという事を小学生には徹底的に教えるのです。

★そうすれば、自己と世界(社会)とがどうしたらいいのか。どうしたら戦争をしないでいられるのか、どうしたら愛し合えるのかを自らの頭で考えるようになるでしょう。

★刑務所のように隔離した鉄柵の中でパソコンを教えられた子供は、やがてゲームの世界に行き、SNSで赤の他人と出会い、犯罪に巻き込まれ、何が正しく、なにを守っていかなければならないかを忘れ去ってしまうと思うのです。

★愚かな大人たちよ、過保護の果てに人間の想像力や優しさは育たないという事を知るべきです。

★ちよっと偉そうに言ってしまいましたが、これは私の本音です。子供達だけは笑顔を持って未来に生きてほしい。そう思います。

★ご意見のある方はどうぞ匿名でなくお寄せ下さい。なんでも話します。

★本日これまで、お休みベイビー!また明日。

theme : なんとなく書きたいこと。。
genre : 日記

雪の為全て中止

一幕一場

★写真は一幕一場です。撮影 向 操

★さて、予定していた午後からの某コンクールの審査会は雪の為中止。

★その少し前に会う予定だった約束も電話で相談し、中止。

★でも、マーフィーの法則ではないが、こういう時に限って、雨交じりの雪で、たいしたことはなく、電車運行に支障はなかった。

★逆に明日の方が路面が凍って滑りやすく、大変らしい。

★霙の中、近くのコンビニに行くのみで暮れる。

★ただ、部屋の中に居て、石油ストーブとエヤコンを点けても寒気がして・・・・

★風邪?まさか?免疫力が極めて低下しているようで、疲労がまだ取れていないのだ。

★本日は早く寝ることにします。

★お休みベイビー!また明日。

theme : ひとりごとのようなもの
genre : 日記

何とか切れ切れに7時間睡眠

一幕一場の蛍

★写真は一幕一場の蛍です。撮影 向 操

★さて、相変わらず生活のリズムはもとに戻らず、なんとか切れ切れに7時間ほど睡眠をとりました。

★本日は某シナリオコンクールの審査の締切日。昨日の続きをじっくり読んで、審査上位の心積りを決定しました。

★夜ちょっと外出して仕事の打ち合わせ。流石に帰りの夜の多摩は寒い。

★芝居が終わって心も更に寒い。

★明日は首都圏大雪とか?大丈夫か電車。ホテルを検索すると足元を見るように27000とか35000円が安い順だと。

★ふざけんなっていう感じ、自力で帰って見せるわ!

★それにしても2000年を超える抗争の渦中へわざわざ行って、イスラエルの国旗の前で2億ドル出すって言って2人も殺した首相が何故責任を取らないんだ。

★首相官邸前のデモをなぜニュース映像で映さないのか?これでは後藤さんも犬死である。

★本当にこの国の人間は何を考えてんのかわからねえ。当然総辞職。選挙なしに野党に政権交代だろうが!

★久々に吠えて、本日これまで。

★お休みベイビー!また明日。

theme : 今日のつぶやき
genre : 日記

リズムが戻らなくって・・・・

蛍写真12

★写真は弁慶と義経の一場面です。撮影 向 操

★さて、元のリズムに戻らず、昨日も3時半に寝たのに、9時には目が覚めてしまいました。

★このところ稽古の終盤から本番にかけて、ほゞ5時間くらいしか寝ていなかったので、その習慣が元に戻らず、せめて7時間は寝たいのに、目が覚めてしまいます。

★覚めたら最後、腹が減るのと、色々とどうでもよい心配事を考え出すので、一旦起きるのです。

★すると躯のあちこちはだるくきついくせに飯を食べた後再び眠れないのです。

★もしかしたら、公演後特有の鬱状態が一気にやってきたのかもしれません。

★ともかく、本日は節分なので、一気に運気を変えるべく、小声で(夜遅いのと集合住宅なので)奥の部屋から「鬼は外!」「福は内!」と豆をまきました。狭い家なのでアッという間に玄関です。

★それでも、ウーと低く唸る(いやなことはいつもウーです)アビを家人が抱っこして、一緒に3,4粒ずつ撒きました。

★福のやってくることをねがいつつ。

★アビは芝居が終わり2人が比較的家にいるので安心したのか、水もよく飲み、餌もよく食べるようになりました。

★やはり、猫なりにこちらがほとんど留守をするとストレスがかかるのだと思います。

★なので、今我が家で一番幸せなのはアビです。

★なんとか、本来のリズムを取り戻して、せめて1週間くらいはグデーっとした年寄りを満喫したいのですが・・・・

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。

theme : ひとりごとのようなもの
genre : 日記

疲れは持続したまま

蛍写真9

★写真は義経と静です。撮影 向 操

★さて興奮冷めやらずというのか、ぐっすり寝るはずが5時間ほどで目が覚めてしまい、その後あれやこれやと考えて眠れず、疲れは一つも取れません。

★全部で800人以上のお客様に恵まれ、楽日は特に200名のお客様で実に幸せでした。

★本当にありがとうございました。

★まあ、若いころに書いた芝居を改訂した物なので、様々なご意見をいただきましたが、概ね好評で、特に映像を背景を兼ねて使ったことが評判でもありました。

★それに特に今回は新たに加わってくださった客演の方の力により、従来以上の充実した舞台になり、感謝いたしております。

★とにかく、疲労を取りごく普通の状態に躯を戻そうとしております。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。

theme : 今日のつぶやき。
genre : 日記

ついに千穐楽

蛍舞台写真C

★写真は「蛍よ妖しの海を翔べ」の西行のシーンです。撮影 向 操

★本当におかげさまで、この15周年記念公演の千穐楽を迎えることが出来ました。

★満員のお客様の前で、おそらく稽古を含めて、あるいは初日と比べても最良の舞台を打てたことを心より感謝いたします。

★ありがとうございました。

★思えば11月に稽古が始まったときは体力的に、このほとんど普段動いていない72歳が稽古を乗り切れるのかと本当に心配でした。

★しかし気力を前面に出し、眠っている体力を絞り出すような具合で、なんとか乗り切ることが出来ました。

★これは一重に個性きらめく役者・そして多彩な経験と感覚で奏でるスタッフ・優しく的確な劇場の全ての関係者の方・そしてなによりも、励ましとご叱責も含めた感想といただいた拍手。全ての観客の皆様に心から感謝いたします。

★遠く北海道や静岡から募って観劇に来られた方々には本当に感謝、感謝でございます。

★以前解散はいったん宣言はしましたが、未だ倒れる迄はやれそうです。

★前のめりに芝居をしながら走り続け、密かに倒れたいと思っております。

★本当にご迷惑千万な事ですが、今少し見守ってください。

★本当にありがとうございました。

★劇団員及び参加してくれた客演そしてスタッフをも代表して心の底から御礼申し上げます。

★本日は疲れ果てたので、お休みベイビー!また明日。

theme : 伝えたいこと
genre : 日記

3日目の2回公演

蛍舞台写真A

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台から。撮影向 操。

★さて、本日から早くも後半戦、4回目5回目の公演を行ないました。

★たくさんのお客様のご来場を感謝いたします。ありがとうございました。

★緊張感が薄れることが一番いけないので、カツを入れましたが、出演者スタッフ本当によく頑張っております。

★稽古も自主的に計画しているようで演出としては嬉しい限りです。

★あっという間の6回公演ですが、明日はマチネーのみの千穐楽となります。

★2か月以上も稽古をしてきて、実にはかない感じがしますが、これも我々に担わされた宿命。

★明日も最高の舞台をお届けします。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。

theme : 写真日記
genre : 日記

プロフィール

G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)は1972年からNHKラジオドラマを約80本書き、映画、テレビ中学生日記等主にNHkのシナリオを手掛ける。【ラジオドラマ】「枝の上の白色レクホン」では、芸術祭大賞をとり同じく『天主堂』ではギャラクシー賞優秀賞をとる。
また若者たちと劇団ギルドを1999年に立ち上げ、20年続け、37回公演で2018年秋解散した。70代後半に向かい、演劇のプロジェクト、あくなき、小説・演劇・シナリオの挑戦創造に賭けており、また日本放送作家協会の理事は岩間良樹理事長の時代より20年以上続けた。
他に長崎県諫早図書館・壱岐未来座等のシナリオの書き方、演劇の演出講師、指導等もしている。

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