おおつごもりの過ごし方

★写真は大晦日の青山です。
★さて、本日は例年我が家恒例の墓参りに行きました。
★墓地だけは恵まれていると言うのか、青山墓地なので、大晦日の空いた電車で楽に行く事が出来、めぐまれています。
★弟が朝から既に墓参りをしたとのメールがあり、午後遅く家人と行ってみると綺麗に花がかざってありました。
★今年の感謝と来年の無事を墓前に祈って表参道へ出ました。
★表参道の紀の国屋で売り切れて1つだけ残っていたアゴ出汁を一瓶買って、1階のドンクでせめての贅沢でフランスパンを買いました。
★青山の紀伊国屋は流石に大晦日は近所の人しか買い物に来ていないようで、混んではいたけれど服装が全く東村山とは違うのです。
★つまりかなり高級な服装人たちが結構高い物を買っていました。
★格差を様々に感じる一時でした。
★それはともかく、世界一忙しく世界一年収の少ない劇作家としては、珍しい豆等を2品程買って、地下鉄で、家人が別のコースで帰ろうと言ったのが間違いの始まりで、なんと大手町迄地下鉄で行って東京を回って大回りして新宿経由で帰る羽目になりました。
★まあ、それはいいのですが、近所で安い野菜や半額の刺身を買って帰りついたのが夜7時、ニュースが終わって
紅白歌合戦が始まってしまいました。
★紅白は62回目だそうで、毎回聞いていた、あるいは見ていたような気がします。
★去年も書きましたが、小学生の頃、静岡で借金取りが汚い玄関に居座って、無い袖は振れぬと言って気丈な母と言いあい、父は自転車に乗って紅白が終わるころまで町を逃げ回っていてました。
★気の弱い小生は下の兄弟4人を気遣いつつ、借金取りと母と罵りあいに怯えていました。
★その日は蒲鉾工場でのバイトが終わったばかりで、生臭い魚の臭いは風呂やに行っても臭いが抜けず、もらった給金でジャンパーを1つ買ってもらって、父に決して帰ってこない余りの金を貸して、おろおろしていたものです。
★ラジオから紅白歌合戦の歌声が聞こえていて、お寺の鐘の音が聞こえてきて、行く年くる年になる頃には諦めた借金取りが帰って行き、ほつとしてとりあえず年を越したのを覚えています。
★戦後は皆貧乏だったと言う人がいますが、5軒に1軒程テレビが買えた頃の話です。
★だから、借金はあるものの、借金取りのどなり声の無いところで、紅白を見れる幸せは本当に幸せなのです。
★くだらない歌合戦を聴取料を取ってやるなという意見は貧乏人の心が分かっていません。
★貧乏人は何事もなく紅白を見て年を越す事の幸せを知っています。
★涙を流しながら塩結びとたくあんだけのおかずで晩飯を食った経験の無い者には分からない事があります。
★畳が破れ単なるわらになり、裂けた床下から冬は木枯らしを喰らい、夏はその藁に住みついたノミやしらみの痒さにほとんど眠れない日々を過ごした子供時代の無い人間に痛い子供時代は分かりません。
★歌にもありましたが、少女の夢とか少年の心の泉等と言う甘い言葉にはうんざりです。
★地獄の少年少女時代をすごして、なお率直に生きてた人間も現にいるのです。
★そんな事はセレブな人間は知りもしません。
★下品な歌や踊りを止めろなどと平気で言います。
★そしてまた、本当に今年は戦後最悪の事があった年です。
★こんな年こそマンネリ気味の紅白は必要だと思います。
★もっともいつの時代も人の不幸にしたりがおで、誠実そうに「こんな時にコンサートをやっていいものかと考えたけれども」等といいながら歌を作って、印税で儲けてという輩はいる者です。
★どんな時でも歌手は歌を歌い、役者は芝居をして、芝居やドラマを書く者は書くしかないのです。
★その覚悟がない者は芸能とか芸事を職業にすべきではないのです。
★今年はそれと小生にとっては本当に大切な市川 森一さんがお亡くなりになりました。
★ほんとうに急な事で未だショックは抜けきれません。
★市川さん程わけ隔てなく、プロの世界だけでなく足立区や故郷の諫早市や壱岐の島の一般の方々を大切にした作家は他に知りません。
★小生は縁あって主に足立区や諫早や、壱岐の方々との芝居の指導等を市川さんからおおせつかり、微力ながら力を注ぎました。
★市川さんは最後の最後まで、そうした事に気を配り心配されて、旅立ってしまいました。残念でなりません。
★年の後半は小生は左肩の痛みに耐えかねる日々で、今も痛みは睡眠を奪うくらいです。
★ただ、幸せなのは、芝居をプロアマあわせて、3本も書いて上演する事が出来て、年末に片付けも年賀状も書けない程の忙しさの中で120枚を超えるラジオドラマの仕事が年越しで続いている事です。
★特に東北や福島の方々に取って、少しでも良い年になるよう祈るのみです。
★とりあえず本年は終わったので、本当に少しでも子供達の未来への責任の取れる年に2012年はしたいものです。
★それではベビー!今年こそ良い年に!