相米慎二との日々#2

★写真は富士川の鉄橋から見た富士山2022年1月9日
★PCR検査を受け(有効期間3日間で、この日9日まで陰性)久々に静岡に行き、8日静高演劇部の同窓会と9日は親友Aの墓参りをして、帰京しました。
★静岡では、この新幹線から見る富士山と、昔私たち一家が居候して住んでいた、あの天女が舞い降りた、三保の松原から見る富士が最高だそうです。
★さて、前回の続き、相米慎二監督の「ションベン・ライダー」の撮影前、約1週間か10日(日記を書いていないのではっきりしない。)助監督の矢野さんを通じて相米監督に頼まれて、出演者の少年少女達の撮影前の演技特訓を小生が日活撮影所で行いました。
★もう、当人たちは覚えていないでしょうが、長瀬 正敏・坂上忍・河合美智子(当時はまだ鈴木と言っていた)ともう一人の鈴木吉和の4人でした。
★長瀬はと河合はオーディションで選ばれたと思う。坂上もそうかな?
★長瀬はオーディションに受かり、なんの経験もなく、九州からこの映画のために出てきたばかりで、九州なまりの取れない好少年だった。
★河合美智子もまだ幼さが抜けずに「大人になったら何になりたい?」と聞いたら「漫画が好きだから本屋さんになりたい」と言った「本屋さんは本を売る方だから忙しくて漫画読めないよ」とこちらが返すと「そうか……じゃあ、どうしょうかな」と首を傾げ、実にピュアーな女の子だった。
★坂上忍はもう子役として大分活躍していたので、演技も旨く、礼儀正しいまじめな少年だった。
★ある時、用意をさせて、各自自由に何か歌ってみるという課題を出した。
★すると、それまで、もう有名人なので、若干坂上と仲の良かった河合が、永瀬のロック調のカラオケに合わせた歌を聞いた途端、
それに魅入られて、急にそれからは永瀬との距離を縮めたようになった。
★実に乙女チックなさまを小生は興味深く、昨日のことの様に覚えている。
★多分坂上はその時何度目かの挫折感を味わったのではなかろうか?
★映画の公開が1983年2月とあるから、おそらく1982年の夏か初夏だったと思う。
★坂上、長瀬、河合の3人は今では、皆さんご存じのように素晴らしい大人の役者になった。
★そのごく初期に立ち会え、演技指導出来たことは思えば幸せな事である。
★この映画には、原日出子さんや、賠償美津子さん、そして、あこがれの藤 竜也さんが出演されていて、小生も、ほんのちょっと出演しているのですが、話は長くなるので、その撮影での秘話と相米監督の特異な撮り方に関してはまた次回。
★おやすみベィビー、また気が向いたら。
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